ブッダもいちおし
経済の本を読んでたら、こんな記述が。
仏教には人間であるとはどういうことかについて特別の見解がある。それは、欲望に影響されるということだ。人間が不幸になる原因は、固執にある。ブッダは王子として生まれたが、豊かであっても喜びがもたらされるわけではないことを理解した。それゆえ財産を捨て、何も持たない生活をするために森へと入って行ったのだ。だが、貧困もまた幸せをもたらすものではないと知り、八正道を理解するようになった。八正道とは、貧困と快楽の間をゆく道で、肉体的な快楽を否定するものではないが、快楽を強く求めれば不幸になるととらえる考え方だ。(「値段と価値」ラジ・パテル)
「っぱ仏教よなあ😚」
となりました。
セミリタイアは中道的な生活です
- だらだらぐーたらの無職地獄
- 朝から晩まで働く(働かされる)労働地獄
どっちもしんどい。
セミリタイアのセミは「半分」。
「中道」なライフスタイルといえます。
「命をつなぐ」ビンボーメシを食うのです
仏教はアルボムッレ・スマナサーラが好きなので、サイトから引用してみます。
快楽行なら、美味しい食べ物を探し求めます。苦行なら、一般人が決して食べたがらないものを摂るか、断食が好ましいと考えます。中道の場合は、そのどちらでもなく、「命をつなぐため」に食事を摂るのです。美味しく感じたならば、直ちに気づいて、こころが欲に汚れないようにする。食べているのがとても不味いものであるならば、嫌な気持ち(怒り)にならないように気をつける。美味しいものを期待することからも、不味いものを避けたい気持ちからも、離れるのです。(ほどほどは「中道」ではない - 日本テーラワーダ仏教協会)
「生きるために食う」のです。
まーうまいんですけどね、ビンボーメシは……😚
関連:【Hellご飯】「年間食費12万円」を実現する貧乏自炊メシ
メルカリの中古の服を着よう
インド人にはたくさん迷信がありました。たとえば、初潮を迎えた女性がそのときに着ていた服は、二度と身につけてはいけない。不幸になります(のだそうです)。ネズミにかじられた服を着たら、不幸に見舞われるそうです。このような服も捨てます。出家は、誰の持ちものでもない、それら捨てられた服を拾って縫いあわせて、洗って染めて着るのです。
しかしこれも、苦行ではありません。ただ衣服本来の機能に限った使い方をしているだけです。一般人は、ブッダの出家も苦行しているのだと勘違いした可能性もあります。のちに、「仏教の修行は苦行であるべきだ」というところまで、その勘違いが発展したのです。お釈迦さまが教えるポイントは、「肉体を守るために衣服が必要ですが、決してこころを汚す目的で衣服を身にまとってはならない」ということでした。
「修行の一環でわざわざきたねー服選んだんだろうな🤔」
と私も思ってました。
たぶん「かんたんに手にはいるから」でしょーね。
服は貴重品でした。
でも、死体にかぶせた布とかはだれも取らずに放置されてたんでしょう。
現代では服は「捨てるほどある」ので、わざわざ小汚い服を着なくてもいい。
中古のユニクロの服でいい。
「ドライEXティーシャツ」とか「エクストラファインメリノ」とかマジで機能的です。
300~600円で送料込み🤣
持ち家より放浪生活が良い
人間は建築技術まで駆使して、豪華絢爛な家を建てるのです。それは贅沢な生きかたであり、色声香味触に依存する生きかたでもあります。出家は住居本来の意味から逸脱しません。身を守れる程度のものがあれば充分です。雨が降らないとき、春、夏など天気のよいとき、森のなか、樹の下などは、とてもよい住居になります。
家をもてば心配になります。
心が煩わされます。
私もロンドンに1~2ヶ月いたとき、150万円ハウスが燃やされてないか心配でした😭🔥🏠
まあカビだらけになってましたが……🥺
関連:【グロ注意】カビだらけの和室畳を「お酢スプレー」で殺菌しました
杵築市のアパート、公営住宅、西成のドヤ、小屋、軽バン、あるいは公園野宿……。
そーいう方がお気楽かもしれません。
しかし「これって昔のインドだからだよなあ」と思ってしまう。
「だれのものでもない土地」はたくさんあったでしょう。
気候は温暖、フトンなしで寝れる。
「ここをキャンプ地とする!」
ってのができた。
「出家とその弟子」では、吹雪のなか行脚してた親鸞が民家に「一晩泊めてくれー!😭」というところからスタートです。まームリがあります。
ともかく、豪華な家はいらんってことです。
←ちょっと昔のベストセラー。青空文庫でもよめます😚
こーいう生活がいちばんハッピー
このように、仏教の修行者たちも苦行しているかの如く見えるが、実は苦行の道を選んでいるのではないのです。こころが安穏に達する道を選んでいるのです。
ブッダはこーいう生活を「苦行」とは思ってなかった。
「これがいちばん楽なんよ~🤗」
と思ってた。
ブッダは超金持ちだったこともあるし、ド貧困の修行者だったこともある。
その結果、「金持ち王族ライフはつまんないし、クソビンボーなのもしんどいわ。ほどほどがいちばん」となった。
捨てられた布から服はつくれるから、いつでも手に入る。
どこでも寝れるなら、家の心配はない。
そのへんにあるもんでテキトーに暮らしてるから、執着が生まれない。
執着がないから、自由でたのしー。
これがブッダの八正道です。
◆
私もビンボー生活で学びました。
こーいう生き方は
「すげー楽チン」です😚
終わりに ビンボーリタイアで悟りを得よう
「宗教キモい!怖い!🥺」
というかもしれませんが……。
ブッダは「ちょー賢いひと」くらいに考えてもいい。
「ほどほどがいい」ってアリストテレスも孔子も言ってます。
◆
労働はクソです。
でも、ヒマすぎてもしんどい。
ビンボーはしんどい。
でも、お金持ちでも人生つまらん。
セミリタイアこそ、いちばんハッピーな「中道」といえるかもしれません。
しかし、「ほどほど」がいちばんむずかしいのです。
つなわたりするよーなもん。
注意深くバランスを整えます。
それが
「上手に生きる」
ってことです😘
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