「FIREと出家って似てない?」
という質問が、ネルケ無方の勉強会の動画で語られてた。
FIREと出家はよく似ている
「そういう21世紀のある意味では出家のような形、似ていると思いますね」
↑ネルケ無方。ドイツ生まれで、曹洞宗安泰寺の元住職。
お坊さんとFIRE民はけっこー似てる
ゲームをうまくやって、株なんかで大儲けして、それで30歳で何億円も稼いだんだから、そこでもうゲームを降りて社会のために何もしないでただ遊んでいる。そうすると、「いや、寄生虫じゃないか」と。そういう生き方はただの寄生虫じゃないかと。言われるけれども、それは、もう私のように大学を出て、すぐお寺に入って、まあ安泰寺では自給自足はいちおうやってるけれども、もしタイとかスリランカにいったら、ずっと人に托鉢でお布施いれてもらって、社会のためにも何もしないで、一生を送ることになるから、そういう意味でも、お坊さんは偉いけれども、いま言われたような、30歳でゲームを降りるという生き方も、それほど違わないと思いますね。お坊さんがよくて、そういう21世紀のある意味では出家のような形、似ていると思いますね。
「お坊さんは立派だけど、FIRE民なんてただの寄生虫じゃないか」
というかもしれない。
ただ、お坊さん自体が寄生虫っぽいのです🤣
宗教者はふつータダ飯喰らい(安泰寺は自給自足ですが)。
「自分は真実に生きたいんよ😋」
的なエゴで生きています。
FIRE民もお坊さんも似たようなもんなのです。
「保証があるか」が違うところ
安泰寺は自給自足のスタイルです。
山深いところで、開墾して農業して自分のメシをゲットします。
「FIRE民はそーいう覚悟はないよね」
という。
ある程度蓄えをつくってもう働かなくてもいいようにしてゲームを降りる。出家をするのと違うといえば、出家の場合は保証はあまりないんですね。蓄えがあって……ゲームを降りたというよりは、十分にポイントを稼いで、このポイントではゲームが終わるまでは十分やっていける。そういう意味では、もう少し、ゆるいゲームの降り方かもしれない。出家みたいな決断はそこにないかもしれないんですが、似ているといえば似ている。特に、安泰寺みたいな自給自足で、米がとれなかったら何もとれないかもしれない生活じゃなくて、南方仏教もそうですし、日本のお寺もほとんどそうですけども、ようは、だれかがサポートしてくれる。どっちへどう転んでもだれかが養ってくれる、というような出家スタイルには限りなく近いと思うんですね。
「だれかの支えで生きていく」
という意味では、FIRE民は日本やスリランカのふつーのお坊さんに近い。
「いや、おれは独力で生きてるんだ😤」
といっても、結局は自分の生産物で生きてはいない。
お金パワーで他人に頼って生きている。
社会になにか還元した方がいい
私はやっぱり何かを社会に返したいと、ずっと親の世話にもなったし社会の世話にもなたし、自分ひとりがゲームを降りるのではなく、ふたたび社会の中で新しいゲームをやりたい。私はそれこそ大乗仏教だと思ってますね。そういう人はやっぱり……ただ降りるだけじゃ物足りずに、ゲームに参加するけれども違う遊び方をしたいと。そしてみなさんにもその違う遊び方より楽しい遊び方を体験してもらいたいと。そういうことを、まあ私は大乗仏教と。だからといったらおかしいですけれども、私はそれがしたいと思ってます。
- 小乗仏教:「自分ひとりが解脱するぞ!」
- 大乗仏教:「自分だけでなくみんなも救うぞ!」
自分ひとりじゃなくて、まわりにも
「こんな楽しみ方があるよ😘」
と助ける。
「そっちの方がいいんじゃね?」
とネルケ無方はいいます。
私のまわりにも何人か、アルゴリズムなどを使って、株をやって、それでけっこう収入を得られると。寝ても、夏休みをとっていても、アルゴリズムさえ動いていれば、休みから帰ってきたときにはちゃんとお金が入っていると。その私の知り合いのなかで、安泰寺で修行したひともいるんですね。安泰寺ではたいへんだったけれどもいまは楽でやっていけると。本人はそれでいいんだったら私はなにも言わないんですけども、じゃあみんながそのゲームができるかというと、できないんですよね。一部が優れたアルゴリズムをもっていて、一般庶民の貯金がちょっと減って、というかようはどこからこのお金がこなくちゃいけないか、人が稼いだものを少しもらってるんですね。まあ私たちお坊さんだって托鉢で、人が稼いだお金をもらうんですが、お坊さんであれば、座禅を共有したり、仏の教えを共有したり、ということはしますけれども、あちら側にはそれがないですよね。「みなさんもこうしたら楽ですよ」と、みんなに教えたらもう成り立たなくなってしまうから。だからまあちょっと違うと思いますね。私も寄生虫といわれればまあ寄生虫なんですけれども、少なくともこうして坐禅会でただ座るということを共有したりこういう勉強会をしたりして、ささいな形で、少しお返しさせていただいている。そういう思いもあります。
「儲け情報」
はあまり他人に広めることができない。
みんながおいしい情報に群がったら、自分は儲けることができない。
でも、仏教的な教えは広めて損しません。
ブッダはこんなこと言ってた(らしい)。
一本のろうそくで何千本ものろうそくに火を灯すことができる。しかし、それで一本のろうそくの火の命が短くなるわけではない。幸福も分かち合うことで減ることはない
トマス・ジェファーソンも似たこといってる。
私に教えられ、人が得をしても、私は損をしない。まさに私のところで火をもらった彼の蝋燭は明るくなるだけで暗さを私に残すことがないようなものである。
投資方法はあまり共有できなくても、投資に対する態度などは共有できる。
私のような貧乏リタイアだったら、金稼ぎ方法や節約方法は共有できる。
「みんながハッピーになる」
よーにはたらきかけた方が楽しい😋
終わりに 意外と近いセミリタイアと仏教
私は宗教は信じないし、信仰心もありません。
でも、リタイアして3年もすると
「仏教マインドと近いな〜🤔」
と感じはじめる。
ネルケ無方にこーいわれると
「マジで近いんだ」
と感じました🤣
リタイアする人は、どーせなら
「悟りを開く」
のもいいかもしれません……😘
↓UBERの配達中にたれ流してました。FIREについては54:30くらいから
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