- 私はエリート会社員
- 私は高収入のお金持ち
- 私はよき父親/母親
と考えると不幸のはじまりです。
「アイデンティティ」なんて捨てた方がいい
社会は集団的なアイデンティティを増強します。
「個人」は捨てられる。
典型的なのは学校です。
- 制服を着せる
- 同じ時間に同じ食事をさせる
- 校歌を合唱させる
- ひとと違う行動をする者は処罰する
徹底して個人性を殺します。
(これらは軍隊・刑務所とまったく同じです)
そして「社畜」となる準備ができたことになる。
「親子」というアイデンティティが子どもを殺す
「親子心中」
は近代以前にはほとんどなかった。
子どもなんてどーでもよかったからです。
「子育てがめんどくせー」「ビンボーだからクチ減らししたい」ときはポイすりゃいい。
- 商人に売る
- 奉公や養子に出す
- 他人の家や橋の下に捨てる(橋の下はいろんな人が通るから、だれか拾ってくれます)
現代の私たちは家族のアイデンティティを持っている。
だからこう考えます。
- 「ひどい! 子どもを捨てるなんて親として失格!😣」
- 「子どもは幸せの象徴! それを捨てるなんてオカシイ! 狂ってる!😤」
その一方で「一家心中」が起きれば
「なんて痛ましい事件だ! 真の家族愛がそこにある🥺」
とか考える。
「子どもを捨てる」よりも
「殺人と自殺」
を讃える……🤣
参考:「明治大正期の親子心中の"増加"に関する考察」和田宗樹(PDF)
関連:【統計】「子どもを持つ=幸せ」とは言えない時代になっています
アイデンティティが人間を殺す
スタンフォード監獄実験では
- 「看守」というアイデンティティを得た人
- 「囚人」というアイデンティティを得た人
でヤベーことになった。
「ただの個人」ならしないことをアイデンティティは可能にする。
- 社畜は死ぬまで働く
- 軍人は赤の他人をぶっ殺す
- 家族は家族をぶっ殺す
「自分は自分だ」
という個人的アイデンティティはいいですが。
集団的(社会的)アイデンティティは
「自分ではないものを自分だと思う」
ことです。
それは「狂気」かもしれない。
アイデンティティを捨てると楽になる
- 「会社員」
- 「母親」
- 「お金持ち」
- 「エリート」
- 「成功者」
- 「頭がいい人」
- 「幸福な人」
こーいうアイデンティティが不幸を生む。
「私は立派な母親だ」
と考えると、たしかに気持ちがいい。
しかし、子どもは子どもです。
他人です。
「良い母親」はつねに子どものことを考え、無償の愛を与えます。
でも、あなたはあなたです。
- 「子育てめんどくさすぎ、遊びたい🥺」
- 「子どもかわいくない! 産むんじゃなかった!😫」
と思うこともある。
そーいうときは、実家や友人宅や施設に預けたほうがいい。
「よい母親」
であろうとがんばるほど、自分も子どももズタズタになります。
社畜も同じ。
「自分は有能で勤勉で立派な会社員だ」
なんて考えたら、過労死や鬱→自殺が待っている。
会社の仕事なんて、金がもらえるから、仕事が楽しいからやるもんです。
そーじゃなきゃやる必要もないクソ仕事ばかりです。
終わりに まっさらな人間になりましょう
アイデンティティが:
- 「金持ち」の人は、お金を失う不安に襲われます
- 「成功者」の人は、失敗に怯えます
- 「美人」の人は、年をとり醜くなることに恐怖します
- 「有能」の人は、仕事に追われて人生を失います
私を見てください。
ハゲた33歳の無職男性です。
働きにいく会社はありません。
同居する家族はいません。
お金もそんなにない。
でも毎日たのしー😘
社会的アイデンティティなんてない。
だから、朝起きたらまっさらな一日が始まります。
エブリデイ新しい自分です😂
アイデンティティを捨てて
「個人になる」
そっちのがしあわせになれるでしょう……😘
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