「FIREをやめて会社員に戻ります」
ネット見てたらそんな人もいるらしい。
個人的には
「ぜんぜんアリ😚」
と思いました。
「FIREを卒業」してしまう人
- やっぱりもっとお金を使いたい
- コンテンツ消費だけでは自分の存在意義を感じられない
ってことで働くみたいです。(よくわからないけど)
「FIRE後の就職」は楽しみ優先
「FIRE後の就職」
って実はたのしーと思いますよ。
1.「仕事を自由に選べる」
収入を気にする必要がありません。
- 仕事内容が自分にあっていて楽しく働けそうか
- 職場の雰囲気は良いか
- 休みが多いか
などで決められる。
2.給料がそのままお小遣いになる
「配当収入などで食っていける状態」
なら、そこに入ってくる給料は「余剰資金」です。
生活のために働くのではなく、楽しみのためにお金を使えます。
同じ「会社員」でも
- 社畜が働く
- FIREした人が働く
では大きな違いがある。
再就職してもFIREは続く?
というか会社員になってもFIREは続いてるんじゃないでしょうか?
- 経済的独立:会社の給料がなくても生きていける
- 早期退職:一度は退職してます。転職ではなく「会社員という立場」をやめている
よーするにFIREと社畜をわかつのは
「いつでも仕事をやめられること」
でしょう。
ヒレア・ベロックはいった。
「自由とは何よりも契約の自由に基づいて労働を拒否できる自由である」
私はこの言葉が大好きです。
現実生活の無数の細部の中に容易に感じとることができる奴隷状態と自由の違いは、次のことにおいて最も歴然としている。すなわち自由な人間は労働を拒むことができ、この拒絶を取引の際の手段として使えるのに対し、奴隷にはそうした手段も取引する力も全くなく、奴隷を保護し保障する法的な規制に支えられた社会の習慣にその生活を左右されているのである。
- 自由な人間:自由に労働を拒否できる。ストライキや退職を交渉材料にできる
- 奴隷:労働を拒否できない。言われるがままに働かなければいけない
いったんFIREしたら
「労働を拒否できる自由」
は続きます。
だが最も重要なこと……は、生計が所有者の意のままになっているという事実である。……我々の社会を動かしている仕組みをめぐる真の制裁は、法廷が下す処罰ではなく、所有者の非所有者に対する生計の手だての差し止めである。
「生計」――生殺与奪が経営者に握られてるわけではない。
FIRE者が就職しても
「社畜」
になることはないでしょう。
それにつけても賃金労働はクソだよ
「すこし働く」
のはぜんぜんアリです。
- やっぱりお金がつかえるのは楽しい
- 資産が増えていくのも楽しい
「お金が使えたらなあ」
と思うこともあります。
- もっといろんな国に行きたい
- もっといろんなバイクに乗りたい
とか。
(まあ金がなければないでそれは楽しいんですが)
しかし私は就職はしないでしょう。
- 週40時間労働はクソ
- 週3日労働でもイヤ😂
一週間まるまる空白のスケジュールじゃないと息がつまります……🤢🤮
あと
- 税金を払う
- 経営者を儲けさせる
ってのも生理的にムリ。
なんで好きでもない国に課金しなきゃいけないんだ🥺
個人的には個人事業で食えたらそっちのがいいと方がいいと思いますね
「自分の存在に意味なんてないんだ🥺」
と思うこともないんですよね。
「幸せに生きてる」
だけで人間は価値がある。
「幸せな人」はそれだけで他人を幸せにする。
一方、「自分を犠牲にしてあくせく働く人」は害悪をまきちらす。
現状、私のリタイア生活はムダに忙しく刺激的です。
飽きることもない。
終わりに 大事なのは経済的自由を得ること
結局FIREって
「働くか働かないか」
ではありません。
「働いても働かなくてもいい自由があること」
です。
「FIRE後に働く」
なんてぜんぜんありですよ。
「自由であること」
はかわりませんから……😘