山奥ニートに子どもが生まれたそうです
内容には触れませんが。
山奥ニートという「理想郷」に赤ちゃんという「現実」がやってきた。
この書き方がどーかなと思いました🤔
- ニートが夢のなかを生きており
- 社畜が現実を生きている
のか……?
夢を見る社畜、現実を見るニート
「現実」は現実ではない
これらのものごとは、人々が発明して他人に伝えるその外側にはない。神、国家、金、人権、法律、正義は、人間の共同幻想の外には存在しない。(「Sapiens」ユヴァル・ノア・ハラリ)
- 「働いてお金を稼ぐ」
- 「結婚して子どもの世話をする」
ことが「現実」とされている。
しかし、
- 「お金」
- 「労働」
- 「家族」
はあいまいなものです。
「子どものために生きる」
ことはいまの私たちにはあたりまえだが、近代以前はそうではなかった。
一七世紀には無視され、一八世紀に発見された子どもは、一九世紀には専制君主となる。(フィリップ・アリエス「教育の誕生」)
じゃーなんで私たちは
「子どものために生きるのが良いことだ」
と思うのか?
「そう教え込まれているから」でしょう。
「生きるために頭を下げて労働し、会社に搾取される」
これはよく考えると地獄です。
しかし、100万回繰り返されたら
「会社のために働くのがすばらしい」
と人々は信じる。
昔の人は、世界は巨大な亀の上の3匹の象に支えられていると信じた。
ひとは、教え込まれたらなんだって信じてしまう。
「騙されたまま死ぬ」のはある意味しあわせです
幻想のために生きるのは気持ちがいい
- 会社のために働くのは良いことだ
- 家族に尽くすのは良いことだ
- 神や国に奉仕するのは良いことだ
- お金を稼ぐのは良いことだ
と信じられるなら、それはそれで幸せです。
幻想はなにもしてくれません。
死後の救済なんてない。
でも、幻想に奉仕していれば、現実に目覚めることはない。
小心翼々とした人間や、けちな占有欲のある人間、反抗精神や破壊精神に欠けた、優等生のエリートだけが、家庭だとか、会社だとか、―あるいはもっと広くいって、国家だとか、社会だとかいった欺瞞の秩序に、必死になって、かじりついているわけです。
なんの意味もない、くだらないものでも、しっかり手に握っていないと、不安になるのかもしれません。(「快楽主義の哲学」澁澤龍彦)
しかし、それほどバカではない人はたいへんです。
「自分の人生はなんだったんだ😢」
と死の間際に気づいたら……。
恐ろしいことです😨
たったひとりで世界と向き合うニート
ニート生活は理想ではなく現実です
- 「毎日忙しく働いてる社畜」
- 「毎日ひまーなニート」
どっちに現実が見えるのか。
人は働いてるときはなにも考えなくていい。
古来、哲学者の多くがニートや有閑階級でした。
山奥ニートはどうか知らないけど、隠遁系ニートは脱幻想の生活です。
- 労働しない
- 組織に属さない
- テレビは見ない
- 広告の少ない田舎で生活する
- 家族の期待もない
- 生活が整うなら、お金への欲望もなくなる
そして「考える時間」がたっぷりある。
それが良いことか悪いことかは微妙です。
「幻想なしで生きる」
のはけっこーたいへん。
- 自分がどうあるべきか
- 何をすべきか
- 生活をどうするか
- 人生をどうするか
他人が考えてくれたほうが楽ちん。
たったひとりで世界に向きあうのは
「重労働」
です。
- くだらねーテレビ番組を見て
- ガラクタを食っておいしー!と叫び
- 金メダルだあ🤤 と一喜一憂し
- 家族や住宅ローンのために無意味な労働をして
- くたばる
そっちのが幸せかもしれません😅
終わりに ニートは「夢の生活」ではない
「働かないで生きるなんて夢のようだ」
というかもしれないけど。
ニートこそ「現実」に直面しています。
多くの人にニート生活は耐えられない。
「精神的マッチョ」
こそニートに向いているのです。
社畜よ、現実を見る覚悟はあるか?
この世界は厳しいぞ……😚
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