がんばることはやめた
権力、時代の流行、習慣、常識、思い込みとか、そういうものが強制してくる価値に巻き込まれてしまわずに、いかに自分で考えるかということですね。いかに何者にならないかという一つの抵抗なんですよ。だから僕は、高校生のときは何者かになりたいと思って勉強していましたけど、何者かにならないためにこそ勉強するんだということをですね、是非伝えたいですよね。
と森田真生氏が言っていたらしい。
「何者にもなれない」と悟る33歳無職
これもうダメだな
- リタイアすれば無限の可能性がある!
- なんにだってなれるんだ!
と思っていた無職です。
リタイアして3年目ですが、「ただの無職」です。
「まあそれでいいのかな」
と思います。
死ぬまで「ただの無職」として生きる
- 億万長者になれない
- 有名人になれない
- 賢い思想家にはなれない
- スゴイ冒険家にはなれない
- 世界的な芸術家にはなれない
- モテモテボーイにはなれない
33歳になりゃー気づきます。
私くらいの歳になれば、同年代は10億円プレイヤーがいて、立派な学者がいて、4ヶ国語話せる人がいます。
一方、私はただの無職です。
ハゲたし、お腹は出るし、汚くて臭いおっさんです🤮
「家族をもって一人前の社会人になる」
ってのもむずかしい。
スゴイ努力が必要です。
仕事、子育て、家族サービス……。
「そんなのあたりまえだ」
というかもしれないが。
「あたりまえ」とされる存在になるよう、みんな必死に努力している。
自分が「何者か」になるためにがんばっている。
私はそんなの降りた。
「穏やかな生活」こそ至高
リタイアすると価値観がどんどん変わります。
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