社会「働け!😡」
まつろわぬ民「嫌だね。働きたいやつだけが働けばいいんだ😘」
ジェームズ・C・スコットの「反穀物の人類史」を読んで「ニートってまつろわぬ民なんじゃね?」と思いました。
「野蛮人」としてのニート・無職
「野蛮人」というと
- 文化的に遅れている
- 粗野で教養がない人
というイメージがあります。
ただ、本来は「納税しない人」を指すために国家がつくった言葉だった。
「未開人」「野生」「生」「森の民」「山地民」などの多くの同類語は――まだ国家の臣民にならない人々のことを記述するとともに、非難の烙印を押すために、国家の中心地で発明されたものだ。中国の明朝には「熟」という語があって、同化した野蛮人をさしたが、これは実際には、定住して徴税簿に登録され、原則として漢人の執政官によって統治される人びと――要するに「版図に入った」と言われる人々――を意味していた。言語も文化も同一の集団が、国家行政の外にいるかうちにいるかのみを基準に「生」と「熟」に区分されることも多かった。
よーするに納税するかどうかが基準だった。
- 文明人=国家の臣民(納税者)
- 野蛮人=徴税を拒否して国家に対立する人
おもしろいのは、現代にも野蛮人っているんですよね。
「ニート」や「引きこもり」といった人々です。
彼らは親や社会や国から「働け」と言われてるのに、働かないし、ほとんど納税しません🤣
そして彼らに対する社会の態度も、古代国家と同じ。
私たちはニートや引きこもりといった人々を、なにか能力の足りない「教化されるべき存在」と考えます。
こういった「野蛮人」を文明化しなければならない。
つまり、一般社会でやっていける技能や態度を身につけさせ、まじめに働く「文明人」につくりかえる……。
官僚、マスコミ、精神科医、学校教師、ソーシャルワーカーなど、あらゆる人がそれを義務だと考えています。ぷーたろーを「自立支援(無職に低賃金労働させること)」させるのが絶対善だと。
しかし、考えてみるとこの文明人――「社会人」と言い換えてもいいですが、これはまさに「勤労し納税する人(あるいはそれを意志する人)」であり、それ以外ではありません。
古代国家が納税する人(臣民)を文明人と呼んだのと、現代人が労働者を社会人と呼ぶのと、奇妙なほど重なります……。
日本国憲法にはヤバい条文があります。
- 第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
- 第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
これが意味することわかりますか?
「働かない、納税しないヤツは非国民だ!」ってことです🤣
「いや、大学で憲法学を学んだ者として言わせてほしい〜〜云々」
などのツッコミが入りそうですが。
現実としてこの国の人々が無職に対してどー扱ってるかを見ればわかるでしょう。
無職、ニート、引きこもり。
こーいう人間ってのはクマソでありエミシでありハヤトなのです……😂
引きこもりって土蜘蛛っぽいですよね……。
労働と徴税から逃れる人は昔からいた
万里の長城の目的は野蛮人の侵入を防ぐのと同じくらい、中国国内の納税者を外へ出さないことにあった。オーウェン・ラティモア
私のような貧乏リタイアを「新しいライフスタイル」と評してくれる人がいます。
でも、実は昔から私のような生き方(奴隷労働と納税を逃れる生き方)をする人は少なくなかった。
野蛮人の大多数は、遅れたり取り残されたりした原始人ではなく、むしろ国家が誘発する貧困、課税、束縛、戦争を逃れて周縁地へ逃げてきた政治難民、経済難民だった
紀元前1100年頃にクレタやミュケナイの中央集権的宮廷国家が崩壊した……「収穫を増やせという官僚からの圧力の下で小農が絶望し、身を守るために逃げ出したせいで、王宮の支配する領土には人がいなくなった」とカンリフは述べている。
「遊牧民は、大きな農耕国家の住人よりも食べ物もよく、生活も楽で、長命であった。東部草原の諸王国へは中国から逃れた人々が常に流れ込み、遊牧の生活スタイルの優位性をほめることをためらわなかった。同様に、多くのギリシア人やローマ人がフンなどの中央ユーラシア諸民族に加わって、故郷よりもよい生活をし、よい待遇を受けていた」クリストファー・ベックウィズ
「非情な税の取り立てと金持ちの法律違反を前にした無力さから、ローマ市民はアッティラのフン族の保護を求めるようになった」
「みんな税金が大嫌いだった」んですね〜。うん、わかる、わかるぞ!😍
私もいまはほとんど労働せず、ほとんど納税せずに暮らしています。
こっちの方がずっと快適ですね。
そんでこれも古代と変わらなかった。
たいていの場合、国家の外での生活(「野蛮人」としての暮らし)が、少なくとも文明内部の非エリートと比べれば、物質的に安楽で、自由で、健康的だったことを示す強い証拠がある。
……でしょーね🤣
関連:セミリタイアしたら「税金フリー」の天国です
関連:「働くのが嫌」「社会が嫌」なら逃げればいいだけです
「まつろわぬ民」は迫害される弱者ではない
「略奪こそ我らの耕作」ベルベル人の言葉
スコットの本を読んでおもしろかったのは、野蛮人=非国民=まつろわぬ民もただ逃げるだけではなかったことです。
野蛮人にとって、国家は財産の宝庫だった。
特に初期国家は脆弱で、野蛮人の襲来で壊滅的な被害を受けた。
定住コミュニティは、移動性の狩猟採集民にとっては、集中的な採集ができる最高に魅力的な場所だった……後期植民地時代のインド西部で山地民が低地の定住民に大規模な略奪を仕掛けたときのもので、去勢牛76頭、雌牛106頭、子ウシ55頭、メスの水牛11頭、真鍮製・銅製の壺54個、布地50枚、毛布9枚、鉄製の鍬19本、斧65本、そのほかに装飾品や穀物があった。しかも、これでも最終的に失敗だったのである!
↑やばすぎ🤣
教科書的な「正史」のカウンターとして、「縄文人が平和に暮らしてる日本列島に渡来人がやってきてボコボコにいじめた😭」という歴史観を好む人がいます。
でも、当時は文明の力なんてそー強くなかったわけで、割と大和朝廷もボコボコに略奪されてたんだと思います🤣
ともあれ、山地民ほどではないですが、私も一野蛮人として、国庫や企業から富を収奪すべくがんばってます。
給付金をゲットしたり、Gotoトラベルを活用したり、図書館で高い本を読みまくり、半額商品を買い、無料クーポンやなんとかペイのポイントをゲットしまくってます(しょぼい😂)
ひとつの見方では、「生活保護受給者」も国庫収奪の野蛮人といえるでしょう。
彼らは文明人=労働者ががんばって集めた富に寄生して生きてます。
生活保護受給者って、辺境民や被差別民がやはり多いわけですが、これは文明vs野蛮の古くからの闘争の名残かもしれません。
……って書くとボコボコに叩かれそうですが、これは生活保護受給者をバッシングしたいのではないんです。
- 「生活保護受給者は卑怯な怠け者なんだ」
- 「生活保護受給者は社会の被害者で、哀れむべき弱者なんだ」
このどちらのスティグマもキモいです。
だれもが自分の利得と幸福を追求するために知恵と力を振り絞ってます。生活保護はその手段のひとつにすぎない。
終わりに 「まつろわぬ民」ライフも楽しいです
というわけで、歴史的な観点からニートやリタイアライフを考察してみました。
ちょっと今日の記事は意味不明だったかもしれません😅
世間的には単なる「ニート」「無職のぷーたろー」な私たちですが。
マクロ〜な視点で見ると、
- 「野蛮人」
- 「まつろわぬ民」
となるかもしれない、という話でした。
なんだか壮大です😚