喜びから満足へ、そしてやがて退屈へ
「暇と退屈の倫理学」って本を読んだら、おもしろい記述があった。
「ヒマつぶし」なら貴族に聞くのです
セミリタイア者はなぜヒマに苦しむか?
- 「暇がある」
- 「退屈している」
は似てるようで違う。
- 暇がある=客観的な条件。たとえば、一日8時間働かなくて良いなら暇がある
- 退屈している=主観的な条件。つまんないと主体が感じること
だから「暇と退屈」には4つのパターンが考えられる。
- 暇がない、退屈していない:社畜
- 暇がある、退屈していない:上流階級
- 暇がある、退屈している:成金とかセミリタイア者
- 暇がない、退屈している:(ここが気になったら本を読んでね!)
こう言いかえることもできる。
上流階級はヒマつぶしがうまい
有閑階級はふつー世襲です。
彼らはずーっと「ヒマ」だった。
- 家族はヒマ
- 友達もヒマ
なので、何十年・何百年と受けつがれた「ヒマつぶし」がある。
学研教育情報資料センター (PDF)
ほとんど名誉毀損
「親が無職=マンション経営者で月5000万円くらい入ってくる」
という知り合いがいました。
やはり「ヒマつぶし」がうまかった。
世界中を旅したり、事業を起こしたり、勉強してみたり。
セミリタイア者はヒマに苦しむ
「労働者から貴族になる」
リタイア者はそんなタイプです。
「暇がない、退屈していない」
という社畜ライフから……。
一気に「暇」をゲットする。
リタイア者はだいたいが労働者階級の出身です。
親も、友達も、働いている。
暇がない。
だから退屈もない。
つまり
「ヒマつぶしの文化資本」
がスッポリ抜けている。
だからヒマにうまく対処できない。
「暇」に「退屈」してしまう。
ハイレベルなヒマつぶしスキルをゲットしましょう
- ソシャゲ
- アニメ
- テレビ
- Vtuber
こーいうのもいいんですが。
これらは「ポピュラーカルチャー(万人向け文化)」です。
つまり「ヒマのない労働者向け」です。
単純で、浅く、大味だったり。
もし飽きたなら、「ヒマ人=有閑階級」が楽しんだ
「ハイカルチャー」
が良いでしょう。
ハイカルチャーは(主に19世紀までの間にヨーロッパを中心に形成された)貴族や富裕層階級のものであり、知識・教養を持つ少数の者が享受する文化であった。しかし20世紀の大衆文化の時代になると、少数者がハイカルチャーを独占するものではなくなり、古典絵画やクラシック音楽も一般に鑑賞されるようになった[2]。
……この西洋におけるハイカルチャーの概念を日本に当てはめるならば、公家や武家がその享受層にあたる。同様に世界各国にハイカルチャー的概念が存在している。
- 文学
- クラシック音楽
- ルネサンス芸術
- バレエ、オペラ、演劇
- 外国語学習・科学・哲学
- 和歌・能・茶道・禅
つまり「教養」です。
- 「教養とは、一人で時間をつぶせる技術」
- 「教養がない人間は酒を飲む以外の暇つぶしが浮かばない」
と中島らもがいってた。
教養こそ究極のヒマつぶしといえる。
立派な教養を身につけるには、時間と努力とお金が必要であり、したがって、時間とエネルギーをもっぱら労働に吸いとられてしまっている人々には、達成しえない(「有閑階級の理論」)
とヴェブレンはいったけど。
ヒマとエネルギーのあるリタイア無職なら教養をゲットできる。
現代ではお金はそんなに必要ないし。
- 図書館で古典文学が読める
- YouTubeで演劇が見れる
- 美術館で作品が見れる
↑足の裏で書いた絵(白髪一雄、MOMAT)
終わりに 「ヒマつぶしの文化資本」をゲットしよう
- 貴族文化が優れてる
- 民衆文化が劣ってる
ってことじゃない。
個人が好きなことするのがいちばんです😆
ただ、有閑階級はずーっとヒマと戦ってきた人々。
彼らの文化資本を利用するのもアリ。
「ヒマでヒマでしょうがない〜😣」
というリタイア無職は
「貴族文化」
にチャレンジしてみましょう。
「ハイソな無職」
になれるかも……😘
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