- 働かない
- ひとりぽっち
そんな生活が楽しいです。
労働から逃げる人生、なかなか楽しい
よくぞ脱れた。よくぞ脱れた。わたくしは三つの曲れるものから脱れた。わたくしは、鎌で[刈ること]を脱れた。わたくしは鋤で[耕やすこと]を脱れた。わたくしは小さな鋤で[耕やすこと]を脱れた。たとえそれらがここにあろうとも、もはや用はない。……
これは「仏弟子の告白(テーラガーター)」に出てくるスマンガラ長老の詩です。
「労働から解放されたぞ~🥰」
というよろこびが表現されている。
「労働から逃げる人生」は楽しい
働かない生活をして3年目。
- ロンドンへいった。北海道へいった
- バイクを何台も買った
- パソコンやスマホを買った
- 何十回も山を登った
それでお金が増えている。
たまにUBERや治験をしますが……。
フルタイムで働くことはもうないでしょう🤔
- 雇われずにお金を増やす方法
- お金に依存せず生きる方法
これらのスキルが、無職でいると高まっていく。
「お金を稼ぐためにだれかの奴隷になって時間を失う」
必要はない。
社会と無職は「トムとジェリー」みたいなもん。
社会は巨体で力がある。
でも、すばしっこいネズミちゃんは捕まえられない。
「ひとりぼっちの人生」は楽しい
上のスマンガラ長老の詩は、「労働」ではなく「性欲」ではないかという説もある。(定方晟氏、PDF)
- 「鎌」=陰茎
- 「鋤」=指
- 「小さな鋤」=舌
まあ経典におちんちんなんて書けないわけで……😂
いまは札幌にひとり旅です。
- 朝8時起きる
- 「今日なにするかな~🥱」と情報チェック
- 楽しそうなところを散策
- 疲れたらホテル帰って酒飲んでゲーム
こんな気ままな旅が楽しい。
藻岩山をのぼる無職🗻 こんな景色は、人生ではじめて。
完全に雪山。アイゼンなしで死に近い登山💀
札幌市街。右にトムラウシ山が見えるらしい。130kmあるけど……。
北海道、なかなか気にいりました。
- 「今年の夏にバイクでまたこよ🤗」
- 「トムラウシ制覇してやるぞ😤」
と思った。
とはいえ、北海道のシーズンは6月以降。
「その前に福岡か沖縄いきたいな~😍」
とも計画してます。
なんでもできる。
なぜなら私は「無職」で……。
「ひとり」だから😘
だれも私を起こさない。だれもチャイムを慣らさない。だれとも会う予定もない。これは孤独だろうか? 自由だろうか?
だれか忘れたけど、こんなこと言ってた。
自分の力で自由になるしかないのです
社畜がイヤイヤながら働くのはなぜか?
- 「依存してるから」――自分からアタマを下げて支配してもらう
- 「弱いから」――力が弱くてつかまる、逃げられない
結局
- 人は、自由になろうと思わなければ自由になれない
- 人は、自分の力の分しか自由になれない
関連:「無職はドブネズミのようにしぶとく生きろ」とバンクシーは言った
「有名になって悩める社畜たちを救うぞ🤗」
と思ったこともある。
でもいまはこう感じます。
「他人を助けることは正しくない」
人間は、本来的に行動によって他の人間を救うことは出来ない、一人の人間が真に救われるのは、その人間が自力で、自ら救うからである。「天は自ら扶ける者を扶ける」とは、天が、誰をも社会的に救わないということである。人は他人を刺戟し、他人に影響を与えることがあるけれども、それは、刺戟され、影響される者が、それを自ら汲みとり、消化する自分自分の素質を持っていて、自発的に、そうした刺戟や、影響を摂取するからである。(なんかの本)
キリストはまーまーいいヤツでしょう。
でも、彼の名のもとでエゲツない搾取や虐殺が行われた。
マルクス主義でも同じ。
- 「ひとびとを抑圧から解放したい」
- 「ひとびとを救いたい」
これが結果的に人間を奴隷化し、心や肉体を殺した。
結局、救われるヤツは救われる。
救われないヤツは救われない。
それだけ。
「社畜を救うこと」にこだわらない。
それが私の自由であり、社畜の自由でもある。
終わりに「逃げた先に楽園がある」のです
- 仕事
- 家族
- 野心
そーいうのにガチガチに縛られた人生も「幸福」かもしれない。
少なくとも、世間はいってくれます。
「ああ、あなたはすばらしい幸福者だ。うらやましい!🥺」
でも
- 金ない
- 仕事ない
- 嫁いない
- 影響力もない
「なんにも縛られない生活」
も、なかなかすばらしー🥰
「逃げた先に楽園がある」
ってわけですな……😘
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