やっぱヘッセちゃんいいこというわ
私が非常に愛している唯一の美徳がある。その名を「わがまま」という。
とヘッセが1917年に書いてた。
「無職になってわがままに生きろ」とヘッセはいった
以下フォルカー・ミヒェルス編集の
より引用。
わがままとはただ「自分に」従うこと
人類が考え出した数多くの美徳のすべてを、ただひとつの名前で総括することができよう。すなわち「服従」である。問題はただ、誰に服従するかにある。
服従は美徳とされます。
- 儒教:「親や王に従うこと」
- キリスト教:「神に服従すること」
- 市民道徳:「法律や労働倫理に服従すること」
が良いとされる。
じゃー「わがまま」とはなんなのか?
わがままな者は、人間のつくったものではない法律に、唯一の、無条件に神聖な法律に、自分自身の中にある法律に、「我」の「心」のままに従うのである。
一体「わがまま」とは何を意味するのであろうか? われのままの心をもつことであろう。
- 自分のこころを持つこと
- そしてそれに従うこと
これがわがまま🤗
地球上のあらゆるものは「わがまま」に生きている
ところで「自分固有の心」は、地上のあらゆるものが、まったくあらゆるものがもっているのである。あらゆる意思、あらゆる草、あらゆる花、あらゆる灌木、あらゆる動物が、ただひたすら「自分固有の心」に従って生長し、生き、行動して、感じているのである。そしてそのためにこそ、世界は、よいものであり、豊かで、美しいものなのである。
「わがまま」
ってかんがえてみればあたりまえのことです。
こどもは生まれたときはわがままですが……。
大人になるにつれ、わがままではなくなる。
- 「自分の心に従う」ではなく
- 「自分の心以外に従う」
それが「大人になることだ」といわれる。
自然はみんなわがまま🤔(去年のトムラウシ山)
「人間」と「家畜」だけが自分のこころに従わない
ただ二種類だけ、哀れな、呪われた生き物がこの地上にいる。その生き物は、この永遠の呼び声に従うことができず、そして深く、生まれつきそなわっている自分自身の「心」が命じるままに存在し、生長し、生き、そして死ぬことを許されていないのである。人間と、人間に飼いならされた家畜だけが、生命と生長の声に従うのではなく、人間によってつくられ、ときおり人間によって壊され、何度も変更される何らかの法律に従うように宣告されている。
ま、人間もある意味で
「人間に飼いならされた家畜」
ですが……😅
「わがままな人」が英雄になる
……今やこの上もなく奇妙なことは、人間が任意につくった法律を無視して、自分たち自信の将来備えている法律に従った、あの少数の人々が、――彼らはたいてい刑の宣告を受けて打ち殺されたが、そのあとで――こういう人が、まさにこういう人が、永遠に英雄として、解放者として敬われることになったことである。
法律を従順にまもる人たちがわがままな人を「英雄」と敬う。
たしかに奇妙です。
でもそういう例は多い。
- ウィリアム・テルは「暗殺者」
- 石川五右衛門は「強盗」「窃盗犯」
でした。
でもすげー人気がある。
山上ちゃんも「民主主義への挑戦」「テロリスト」とかいわれつつ――
民衆にはナゾの人気がある。
ごえもん。実際は子どもを苦しませないよう湯釜に沈めた説が濃厚らしい
なんでか?
彼らは「わがまま」についての認識を開くからだ、とヘッセはいう。
悲劇的な英雄、つまりわがままな人間は、何百万もの平凡な人びとや臆病者たちに、人間の法律に服従しないことは決して野蛮な横暴ではなくて、人間の法律よりもはるかに崇高で、はるかに神聖な法律に対する忠誠であることだ、ということをくりかえし示すからである。
不自由に生きてる人も、うすうす
「こんな生き方しょうもねーよな🙄」
と思ってるわけで。
だからこそわがままな人を見ると英雄のように見える。
みんながわがままになれば社会もハッピーなんよ
「でもみんながわがままになったら社会が大混乱する!😫」
と思うけど
「そうはならんよ😜」
とヘッセはいう。
実際には、自主的に、自分の心の中の法律と心に従う人間たちのあいだでは、生命はずっと豊かに、崇高に栄えるであろう。このような人間の世界では、多くの名誉毀損事件や多くの殴打事件は、おそらく処罰されずにすむかもしれない。また、ときどき殺傷事件も起こるであろう。――殺傷事件は、あらゆる法律や刑罰があるにもかかわらず、現在でも起こっているではないか? けれども、私たちのこれほど秩序整然たる世界のまっただ中で、不気味にはびこっているたくさんの、恐ろしく、そして想像もつかないほど悲しく、気狂いじみた事柄、たとえば国家間の戦争などは、わがまま者の世界では知られず、ありえないことであろう。
「自分の心に従わないこと」
を軍隊は徹底的に訓練します。
だから「気狂いじみた」ことが起きてしまう。
「殺すのも殺されるのもやーやーなの!🥺」
とみんながわがままになれば戦争は起きない😂
わがままな人は金銭や権力を求めない
私の言う「固有の心」をもつ人間は、金銭も権力も求めない。
わがままといっても、一般的な意味での「エゴイスト」とは違う。
彼はまさにただひとつのものを高く評価する。すなわち彼自身の中にあって、彼に生きるように命じ、彼が成長するのを助ける神秘的な力だけを評価するのである。この力は、金銭とかその他のものによっては獲得も、高めることも、深めることもできない。なぜならば、金銭と権力とは、不信感の産物だからである。自分の内部に潜む生命力を信頼しない者、それを持たない者はお金のような代用品によってそれを補わなくてはならない。
自分を信じてる人は、多くのお金を求めない。
べつに必要ないから。
自分を信じてない人は、それをうめあわせるためにお金とか権力が必要。
もっとも、そんなもんじゃ永遠に満たされないんですが🙄
終わりに わがままライフを生きるのです
私たちは計算機でもなければ、何かほかの機械装置でもない。私たちは人間である。そして人間にとってはただひとつの自然の見地、ただひとつの自然な尺度があるのみである。それはわがまま者の尺度である。わがまま者の尺度には資本主義の運命も、社会主義の運命もない。その尺度に英国も米国もない。彼にはただ自分の胸中の静かな必然の法則が生きているのみである。その法則に従うことは、安易な慣習の中に生きている人たちには、実にかぎりなく困難なことであるけれど、わがまま者にとっては、その法則は、運命を、神を意味しているのである。
- 「働くのやーやーなの!🥺」
- 「税金払いたくないの!😠」
- 「でも遊びたいし楽したいしお金ほしいなァ……🤤」
という
「わがまま無職ライフ」
が実現しているさいきんです🥰
世間的には「社会の寄生虫」「非国民」「ごくつぶしのクズ」ですが。
でもそんなのどーでもよ🥱
「安易な慣習」
の中に生きている社畜のみなさん。
「わがまま無職」
になりましょう……😘
←「ヘッセは少年時代から我が強く、親の手に余る子で、神学校の寄宿舎から脱走して落ちこぼれになる。しかし、ずっと詩人になる夢をあきらめず、独学で大作家になった。自分を信じて生きることの重要性を説いたエッセイと詩を集めた詩文集。 」