- 友達/恋人をつくる余裕
- 家族/社会/世界のために働く余裕
そんなもんねえ😂
自分を幸せにすることに全力系無職
無職ながら毎日忙しくすごしています。
- バイクのオイル交換
- マクドナルドで昼食
- 街に出て冬登山装備の下見
- 部屋掃除してフリマに出品
- 海辺で散歩
- ジムで筋トレ・走り込み
すべて
「自分が気持ちよくなるため」
です。
おはようからおやすみまで――
ただ自分のために生きています🦁
オイルフィルターも変えました🙄
「自分ひとり幸せにする」のもたいへんです
ブッダはけっこーつめたいヤツです😒
彼が出家したのはなぜか?
- 「世界を救いたい」
- 「真理を探究したい」
ではない。
「自分の苦しみ」
から逃れるためだった。
「死ぬのヤダ。病気ヤダ。つらいのヤーヤーなの🥺」
まちがっても「社会の役に立ちたい」なんて思ってません😂
結局、彼は何年も修行してやっと悟りを開きました。
- めちゃくちゃ賢い人が
- めちゃくちゃ努力して
やっと「自分の幸せ」をゲットしたわけ。
だから「自分を幸せにする」ってぜんぜんかんたんじゃねーのです。
「他人を幸せにしつつ」
片手間にできるもんじゃない。
それができたらブッダも王家や妻子を捨ててません……🙄
他人のために生きてもしあわせになれない
それなのに世の中
「他人のために生きる」
人ばっか。
他人のことを考えれば、自分のことがなおざりになります。
まーそれが目的かもしれません。
他人を気にかけていれば――自分のことを忘れることができる。
「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。(「真理のことば 感興のことば」中村元)
「だれかをしあわせにすることこそ自分の幸せなんよ🤗」
というひとがいます。
これもすげーウソくせー。
たとえばあなたがめちゃくちゃ不幸だとします。
お腹すいた。寒い。お金ない。恋人に振られた。スマホ落としてヒビが入った。小指をかどにぶつけた。
そんなときに
「○○さーんこの仕事やってくれません?😗」
って言われたら。
「いま自分は不幸だから他人の手助けをして幸せになろう🤗」
なんて思わない。
「自分でやれや!😡」
です😂
前後が逆なのです。
自分が幸せだから、相手を幸せにできる。
相手が幸せになれば、自分も幸せになる……。
「まずはじめに」
自分が幸せにならなきゃいけないのです。
無職は孤独に暮らしていきたい
- 学生時代
- 社畜時代
は人間関係に悩みました。
他人に怒ったり/怒らせたり。
でもいまはストレスフリーです😆
なぜか?
自分のことを最優先してるからです。
すべてが自分基準です。
「自分がハッピーで余裕があるとき」
は人に会います。
そんで他人を幸せにして、自分も幸せにします🤗🤗
「自分がビミョーで余裕ないとき」
は人に会いません。
自分をよくするためにがんばります。
◆
「人と会わなくていい自由がある」
ってサイコーです。
- 家族に会う義務
- 職場に行く義務
なんてない。
家族・恋人・同僚のような
「Fixed」
な関係はいらねーです。
……とクリぼっちを過ごして思いました🌰
他人に従属することはすべて苦しみである。自分が思うがままになし得る主であることはすべて楽しみである。他人と共通のものがあれば、悩まされる。束縛は超え難いものだからである。(同)
終わりに 自分のために生きる「あたりまえ」の生活
- 企業も
- 国家も
「カルト宗教」と同じです。
あなたをマインド・コントロールします。
どのよーにかえるか?
「自分のために生きる人」
から
「他人(集団)のための道具」に:
- よく働いてよく消費する企業の奴隷
- よく納税してよく子どもをつくりよく戦う国家の奴隷
ニートも4年目になると気づきます。
- 自分のために生きなければならない
- それも「真剣に」生きなければならない
そーじゃなきゃハッピーぽやぽやライフはムリ😘
でも
「自分のために生きる」
ってあたりまえですよね?
人間以外のすべての動物はそれをしてます。
人間だけが「おばけに取り憑かれている」のです……😂
自己こそ自己の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。(同)