- お仕事やだ!
- 納税やだ!
とかいってたら無職4年目です。
やりたくないことはやらない無職ライフ
「本当にやりたいことをやりとげるあきらめない心を」
と青色LEDでノーベル賞とった赤崎せんせはいった。
これを無職流にいいかえると
「本当にやりたくないことをやらないあきらめる心を」
となる。
やりたくないことをやらない無職生活
「やりたいことをやる」ためには
「やりたくないことをやらないこと」
が必須です。
科学者は特権階級です。
科学の探究だけしてお金をもらえます。
しかし哲学者や芸術家や遊び人となるとふつー食えません。
賃金労働して納税しなきゃいけない。
そーすっと遊ぶ時間がなくなります😭
そこで
「食えなんだら食うな」
という考え方が大事になります。
自分は僧侶として好きなことをやっているのだから、一握りの米も頂けなくなったら、誰を恨むでもない。そのときは、心静かに飢え死にすればいい。
私も「飢えたら飢えたでいいや🥺」とセミリタイアしました。
ただ、実際なんとかなる。
「寺の経営がヤバいっす……弟子たちを食わせられません😭」
と言われた道元禅師はこう返しました。
「人には口がついているから安心せい😘」
といった。
これはどーいうことか?
「飢えること」
は生物にとってもっとも恐ろしいことです。
人間に器用な手指があるのも、長距離走できるのも、頭がいいのも、飢えないため。
だから人間はなにがあっても飢え死ぬことはそうないのです。
「やりたくないことはもーしない!😡」
と仕事をやめてしまえば、まーなんとかなります😘
鹿児島でぽやぽや過ごし無職
あきらめる心をもとう!
「あきらめる心」がだいじです。
「あきらめる」は良い言葉――というか、仏教では悟りそのものです。
あきらめるとは「あきらかにする」ということ。
見えなかったものを見えるようにする。
「ゼッタイにあきらめないぞ! がんばるぞ!😡」
と一億総火の玉で戦った日本軍は滅びました。
やー🥺
世の中、努力じゃどうにもならないことがある。
というかどうにもならないことだらけです。
他人ひとり、家族ひとりどーにもならん。
自分の健康も、明日の天気もどーにもならん。
「ジタバタしてもしゃーない」ということです。
ストア派哲学のエッセンスは
- 自分のどーにもならんことには無関心(アパテイア)でいよう😗
- 自分のどーにかなることにだけ集中しよう🤗
ということです。
ここでもあきらめることが大事です。
昇進したい、お金がほしい、クルマが欲しい、あったかい家庭がほしい、YouTubeでひとやま当てたい……。
そんなことは
「自分の思い通りにならない」
ことばかりです。
「あきらめることはかんたんだ」
と言いますが。
実際、なにかを「やる」より「やらない」ほうがはるかにかんたんです。
「ノーベル賞をとる!」
なんてクソたいへんですが
「ノーベル賞をとるのやめます😗」
というのはかんたんちん。
で、やめちまったほうが楽ちんに生きていける😂
終わりに 人生の主導権をとりもどすのです
「国民の三大義務なんて嘘っぱちだと気づいた」
と宮崎のゲストハウスのご主人がいってました。
彼女は3畳の家を立てて暮らした。
そしたらお金がかからない。
住居費も、固定資産税も、電気代もほとんどかからない。
家は狭いから掃除も5分で終わる。
こんな状況だと
- 勤労
- 納税
の必要はない(「教育」はよくわからんけど)。
私も150万円ハウスを買って
「いままでの生活ってなんだったんだ?🙄」
となりました。
働くために家を借りて、家を借りるために働く。
働けば税金をかすめとられる……🥺
- 「やりたくないことはしない」
- 「なにごともいさぎよくあきらめる」
それだけで快適無職生活は実現するのです……😘