「身勝手な生活は許せない!」
「社会や家族のために働け!」
と三十路でぶらぶらしてるおっさん(私)を見て思う人がいるかもしれません。
でも、私は「自分のために生きる」以外はしません。却下、却下、却下です🤣
「他人のために生きる」の誤り
他人のために自分を犠牲にするのはうんこライフです💩
これまでの人生で、「会社のため」「家族のため」と自分を犠牲にして、惨めな人生を送る人をけっこう見てきました。
彼らは自分を犠牲にして生きることが当然だと思ってます。ある意味洗脳されてしまった人です。
「毒親」に育てられたような人に多いですね。こういう人は、独立したあとも結婚相手の所有物になったり、会社の所有物になります。鬱病になったり、新興宗教にも引っかかりやすいですね。
- どうしてこの人は空っぽみたいな人生を生きてるんだろう?
- どうしてこの人は自分のために生きることができないんだろう?
私はいつも不思議でした。
会社はすぐにやめることができるし、家族だって離れて生きれば他人と同じ。いつでも逃げることができるのに、鎖につながれてしまっている。
だいたいそういう人は、「自分がいなければ家族がだめになる」「会社がだめになる」と思い込んでます。
……まあ、どんな職場でもそういう人はいると思います🤣
「自己犠牲型」は実は凶暴
私はそういう「他人のために生きてる」系の人が怖くてしょうがなかった。
そういう人って、結局好き勝手に生きてるわけではありません。
自己犠牲しなければ生きていけない、と洗脳されてきた人々です。
「自分のことだけ考えて好き勝手生きてりゃいいや~😊」ってぽやーんと生きてる人を彼らが見ると、どうなるか。
徹底的に叩きのめそうとします。
なぜか?
根本にあるのは「ドス黒い憎悪」です。自分はだれかの道具として惨めに暮らしてる(本人は自覚なし)のに、自然でありのままに生きてる人間がいる。
そりゃー許せないでしょうね。
ただの憎悪ならいいんですよ。本人に自覚があるから。でも、表面的には「善意」の形をとるから恐ろしいのです。 彼らは自分を犠牲にして生きるしかないと教え込まれていますから。自分が洗脳・訓育されてきたように、相手を調教しようとします。だから、そういう人は「あなたのためを思って」と必ず言います。
「善意と思い込んだ悪意」。これがほんとーに始末が悪い! 悪すぎる!🤣
まあこういうのは極端な例ですが。
ともあれ、「他人のため」という呪縛から離れられず、自分の人生を生きられない人はたくさんいるのです。
「自分のため」に生きるのが良い
- 自分を犠牲にして、他人を利する
- 他人を犠牲にして、自分を利する
こういう人間関係は病的です。
「人間関係はゼロサムゲームじゃない」と私は思うんですよね。
「自分のために生きる」って、べつに「他人を犠牲にして自分を利する」のではないです。そういう生き方って、結局おもしろくないですから。
「自分も他人も利する」のがほんとうの利己主義だと思います。
たとえば、人助けをすれば、自分も嬉しくなりますよね。街で財布を落とした人がいたら、こっそりパクるより「落としましたよ」と伝えた方がいい。
正しいことをした気になるし、感謝されて気持ちがいいからです。
「家族を養うために仕事でがんばる」というのが、実は利己主義であることもあります。物質的に自分を犠牲にしても、精神的な豊かさが得られますから。これもWinWinな関係ですね。
自己犠牲はクソです。相手を犠牲にする利己主義も楽しくない。結局、利己主義は極めると自分も他者もハッピーな感じになるんだと思います。
終わりに「自分のため」が「他人のため」でもある
みんなが自分本位で生きたときに社会はもっとよくなるのにな~と私はよく考えます。
それがいちばん効率がいいからです。
みんなが自分の好き勝手に生きれば、才能が100%発揮されて、結果的に社会はゆたかでのびのびしたものになるでしょう。
「自分を犠牲にして他人のために生きろ」
そんなことを聞いたら、人間はつまらない道具に成り下がってしまいます。
そーいう生き方は、本人にとっても社会にとっても「毒」です。
自分のやりたいように生きる。それが健康的で生産的で超楽しいのです😘