- 娼婦:身体は売っても心は売らない
- 会社員:身体も心も売る
😂
「会社員は娼婦以下だ」byひろさちや
以下「奴隷の時間 自由な時間 お金持ちから時間持ちへ」より引用。
「首相より無職のがええよな~🥺」
と昨日書いたけど、今日読んだ本に同じことが書いてあった。
本当の意味での豊かな人とは、600円のラーメンを30分も行列して食べることのできる人なんですよ。
つまり、有り余る時間を持った人が真に豊かな人。
総理大臣や大企業の社長を見てごらんなさい。彼らは5分間も、自分の自由になる時間を持っていません。
時間的にいえば、総理大臣や大企業の社長が最も貧しい人で、いちばん豊かな人はホームレスの人たちです。
では、あなたはいずれを選びますか?
金銭的な豊かさ……ですか?
ゆったりとした時間を持っている豊かさ……ですか?
サッチーのいうことマヂわかる😚
会社員は娼婦以下かもよ
前にも言いましたが、江戸時代のお女郎さんは
「からだを売っても、こころは売らぬ」
と言ったそうです。お女郎さんは金で買われた人間だから自由はありません。からだは売らねばなりません。しかし、心までは売らない。それが彼女たちの自負でした。
それにくらべて、心までも企業に売り渡してしまった現代の経営者やサラリーマン、あなたがたは恥ずかしいと思わないのですか!?
ここ爆笑しました。
私より煽りきつい😂
産業兵士なんだから、からだは会社に売っています。それは仕方がありません。でも心や魂までも売ってはいけません。心まで売ってしまえば、奴隷になってしまいます。
心を売らぬということは、会社に対する忠誠心を持たないということです。会社と従業員は契約関係です。江戸時代の殿様と家来ではありません。
さいきんのセミリタイアや「Quiet Quitting」が流行ってますが。
「会社への忠誠心」
なんてゼロですね。
もっと怠けようぜ
……逆に、もっと怠けろ! と言いたいですね。
なぜなら、わたしたちの命は時間の集積だからです。わたしたちが生きた一年一年、一日一日、一時間一時間、一秒一秒をすべて集積したものがわたしたちの寿命であり、命にほかなりません。
ならば、われわれは一時間一時間をじっくり味わって生きるべきです。
その大事な一時間一時間を、仕事のために使ってしまうなんて、もったいないと思いませんか!?
Totally😚👉👉
「働いた自慢」は奴隷の首輪自慢ですよ
……『どん底』の中で、ゴーリキーは作中人物に次のような言葉を喋らせています。
《働きたかったら勝手に働くがいいんだ……働くからってなんで自慢することがある? もし、働くことで人間の相場がきまるものなら……馬にかなうものあ一人だっていやしねえや……馬は車をひくからな、そして黙ってるからな!》
そうなんです。働きたい奴は勝手に働けばいいんです。自分が馬みたいに猛烈に働いているからといって、なんで自慢するんですか!? エコノミック・アニマルは畜生であり餓鬼ですよね。
そういや古代ギリシアでも労働って奴隷がするもんだったな🙄
多財餓鬼――いくら金があっても餓鬼は餓鬼
餓鬼といえばこんな話が。
……「阿毘達磨順正理論」という仏典には、その餓鬼に三種ありと書いています。
- 無財餓鬼
- 小財餓鬼
- 多財餓鬼
無財餓鬼は何の財産も持たず、真っ裸でいます。まったく何も食べられません。小財餓鬼はボロ切れ一枚程度の財産を持ち、大便・小便・腐った水といった物しか飲食できません。この二種の餓鬼は、われわれが絵草紙などで見るおなじみの存在です。
ところが、そのほかに多財餓鬼がいるというのです。多財餓鬼はいっぱい財産を持ち、宮殿のような住居に住み、山海の珍味をたらふく食べています。だからビア樽のような肥満体。その多財餓鬼は天界や人間世界に住んでいるというのです。
クソ金持ちにも「餓鬼」がいる。
多財餓鬼みたいな人は資本主義社会にはゴロゴロいますね。
終わりに いまを楽しめ カルペ・ディエム
そもそも「人生」とは何か? ……素朴に考えて「人生」とは「人間が生きていること」ですよね。人間が生きているということは、のんびりと、ゆっくりと、自由奔放に生きていることであって、奴隷のように鞭打たれて強制的に働かされていることではありません。
つまり、自由な時間をふんだんに持っているのが本来の人間です。自由人です。そのような人間=自由人が生きているのが「人生」です。
ということは、「人生」とは自由な時間そのものなんです。
「生きる前に死ぬ」
人がいかに多いか🥺
- セミリタイアして自由になる
- お金ではなく時間リッチになる
そして人生をとりもどすのです✊
ひろさちやに言わせれば
- 会社員は娼婦以下
- リタイア無職は立派に生きる自由人
となるでしょう……😘