「総理大臣より無職がよくね?」
といっていたひろさちやの本を紹介したけど。
空海の
「三教指帰」
にも同じよーなこと書いてました。
「アクセク働くのはバカのすること」と虚亡隠士は言った
20歳と60歳で2回隠遁した空海というおっさん
隠遁大好き空海さん(774年~835年)
空海の生涯を大観すれば、俗、非俗、俗、非俗の四種の周期を交互にもつことに気づく。まず讃岐国(香川県)の名家に生まれ、官吏の養成を目指す大学に入って、漢文学や中国古典の学習に励んだ少年期は俗。ついで18歳で大学に入ったが、まもなく退き、仏道を志し、山林にわけいって自己の啓発に努めた青年期は非俗。31歳で入唐し、インド密教の生系を継いで翌々年に帰国し、真言密教の日本における定着と流布に全力投球をつづけた壮年期は俗。さらに50歳をすぎる頃より、次第に山林隠遁への憧憬を深め、62歳にして、高野山でその生涯を閉じる晩年は非俗と、四時期に大別できるであろう。
当時の大学はいまの東大みたいなもんで「官僚養成」の意味合いが強かった。
「授業つまんねー😅」
となった空海は20歳で中退する。
そんで出家。
「三教指帰」を書いたり四国をぶらぶらしていた。
で、31歳で中国へ渡った。
今でいうとハーバードやスタンフォードに行くようなもん(テキトー)。
帰ってきて真言密教を布教したあとは、ほんとは山林でひっそり暮らしたかったのだが……。
蘇我天皇とかがうるさくて都をいったりきたりしなければいけなかった。
「もうマヂしんどい🥺💦」
と空海は隠遁へのあこがれを強めた。
やっと寺を弟子に譲り、高野山に入ったのは60歳頃。
そこから座禅三昧した。
まあ、すぐに死んでしまったのですが……。
そーいや高野山いったことあります。もう7年前
有能すぎるゆえに自分の好きな隠遁ライフが送れなかった――というのは荘子(道教)の「無用の用」を思わせるけど。
ひとびとのために多大な貢献をした(土木インフラとか)のは仏教らしい生き方に感じる。
「金持ちもビンボー人も見たくない」by空海
「三教指帰」の序文では、さっそく「出家への熱意」が書かれてます。
かくて私は、朝廷で名を競い市場で利を争う世俗の栄達は刻々にうとましく思うようになり、靄(もや)にとざされた山林の生活を朝夕にこいねがうようになった。軽やかな衣服をまとい肥えた馬にまたがり、流れる水のように疾駆する高級車の贅沢な生活ぶりを見ると、電(いなずま)のごとき幻のごとき人生のはかなさに対する嘆きがたちまちにこみあげてき、体の不具なもの、ぼろをまとった貧しい人々を見ると、どのような因果でこうなったのかという哀しみの止むことがない。目にふれるものすべてが私に悟りへの道をすすめ、吹く風のつなぎとめがないように、私の出家の志をおしとどめることは誰にもできない。
- 出世争いとか金儲けとかもーイヤになった
- 贅沢な生活に喜ぶひとびとを見れば「すぐに死んでしまうのに……」と嘆きたくなる
- 貧しい人を見れば「どーしてこんなことになってしまったんだ」と悲しくなる😥
23歳でこんなんとか早熟すぎる🙄
で、空海は出家したわけですが。
ダチがいうわけです。
「お前さー出家とか人としてどうなの? 大学まで入れてもらったのに親不孝じゃん。ちゃんと偉くなって親孝行しろよ👊🥺💢」
的な。
もっともらしいですね。
でも空海は思った。
「それは儒教的な考え方だけどさあ……。道教的な考え方や、仏教的な考え方もある。どれも聖人の教えで、どの道でも間違ってることはないんよ。ま、俺は仏教がいちばん深いと思うけどね―(´ε` )☆」
そんなことがきっかけに物語がつくられたらしい。
ってわけで、三教指帰は
「親孝行や家や主君に尽くす儒教もいいけどさ。ひろく衆生を救う仏教もすげーいいよね。っていうかそっちのがよくね?」
という内容になっている。
「王様はカスだ」by虚亡隠士
- 儒者代表――亀毛先生
- 道者代表――虚亡隠士(きょぶいんし)
- 仏者代表――仮名乞児
が三教指帰に登場します。
この記事では私の好きな虚亡隠士の紹介したい。
このひとがなかなかおもしろい😚
まーこんなことをいう。
欒大(らんだい)や秦の始皇帝、漢の武帝といった連中は、それこそ道教の世界における糟(かす)や糠(ぬか)みたいなものであり、仙術を愛する人間のなかの瓦や小石みたいなものである。まことに深く憎むべきやからである。
「王様はカスだ」と😂
これは儒者が「礼儀をつくせば出世できる」とか言ってたことの反論でもあります。
「偉くなるなんてアホくさいじゃん。カスだし🙄」
と虚亡隠士はいうわけ。
「寝そべり族」のルーツは道教?
「道教ライフはいいぞ~🤗」
と虚亡隠士はいう。
心に任せてのびのびと寝そべり、気のむくままに昇りつ降りつする。淡白で無欲、ひっそりとして声なき”道”の根源的な真理と一体となり、天地とともに悠久の寿命を保ち、月日とともに生の愉楽も永遠である。なんというのびやかさ、なんという広大無辺さであろう。仙界における東王父や西王母の存在も怪しむにはたりないのだ。そして以上がわたしの教わり学んだ道教の秘術であるといえよう。
これ読んで思ったんですが
「寝そべり族」
と近いですね。
- 官僚になっていい思いをしたい
- 資本主義経済で巨富をゲットしたい
今の中国にもそんなモーレツ・マインドがあるんですが。
「そんなのダルいわ……🥱」
と働かずに公園でひなたぼっこする寝そべり族。
「心に任せてのびのびと寝そべり、気のむくままに昇りつ降りつする。(任心偃臥、逐思昇降)」
これはとても寝そべり族っぽい文章です。
そして「寝そべり族宣言」のこの文もとても道教っぽい🤔
この世界を90度傾けるだけで、人々は普段口にすることのできない真実を知ることとなる。すなわち、寝そべることこそが立ち上がることであり、立つことは這いつくばるということである。この客観的実在性を持つ秘密の角度が、寝そべり主義者と国民の間の越えられない障壁となっている。
「あくせく働くのはマジでアホだよ」
じゃあ寝そべり族の反対――「あくせく働く生活」を虚亡隠士はどう考えているのか?
ところで、世俗の生活をふり返ってみると、貪欲に縛り付けられて、心を苦しめこがし、愛欲の鬼に呪縛されて、精神を焼きつくしている。朝夕の食事のためにあくせくし、夏冬の衣服のために追いまわされ、浮雲のように定めない富をこいねがい、泡(うたかた)のように空しい財産を蓄えこみ、身のほど知らぬ幸せを追い求め、稲妻のようにはかないこの身をいとおしんでいる。わずかな楽しみが朝おとずれると、天上の神仙の楽しみをあざわらい、わずかな悲しみが夕(ゆうべ)に迫ると、泥にまみれ火の中に落ちたようにもがき苦しむ。喜びの歌がまだ終わらぬうちに悲しい調べがたちまちに奏でられ、今日の宰相大臣も明日は賤しい召使い、始めはネズミにおそいかかる猫のような勢いであるが、終りは鷹におそわれた雀のような哀れさ。草に宿る露のようにはかない命を恃(たの)んで朝日のおとずれを忘れ、梢に残る木の葉のように定めない身にしがみついて風や霜のおとずれを忘れる。ああ痛ましいことよ。葦に巣づくる葦雀(よしきり)と何の変わりがあろう。あげつらいにも値しない愚かさである。
「朝夕の食事のためにあくせくし、夏冬の衣服のために追いまわされ、浮雲のように定めない富をこいねがい、泡(うたかた)のように空しい財産を蓄えこみ、身のほど知らぬ幸せを追い求め、稲妻のようにはかないこの身をいとおしんでいる。」
これすごく現代人っぽい。
「ええやん道教」
って思うんですが。
虚亡隠士のかっこーはこんなん。
「蓬(よもぎ)のように乱れた頭髪は、登徒子の妻よりもひどく、ぼろぼろの衣服は董威の仲間よりひどい」
まーホームレスですね。
けっこー勇気がいります😂
登徒子は私とはまったく違っています。その妻は、髪の毛はぼさぼさで、耳たぶはちぢこまって、出っ歯で歯並びが悪く、腰が曲がり瘤があり、足が悪くて、そのうえ痔持ちです。(試訳 - 登徒子好色賦(田中紀峰) - カクヨム)
終わりに 儒教マインドを捨てるのです
「人生についていろいろ考えに考えて、考えたすえに、これを読んだら、なあんだ、ここに自分の考えたことがそっくり書いてあらあ」(「過激な隠遁―高島野十郎評伝」川崎浹)
と画家の高島野十郎は「三教指帰」「三論玄義」をさして言ったらしい。
そんなことがきっかけで初めて空海を読んだけどおもしろかった。
三教指帰ではあきらかに
「仏教>道教>儒教」
と序列ができています。
私が絶賛した道教より仏教のどこが優れていると空海はいったのか?
そこはぜひ三教指帰を読んでみてください😆
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あなたはお金を稼いで出世する
「儒教レベル」
にとどまりますか?
それとももっと「深み」にいきますか……?😘