30歳1000万円でリタイア

150万円の家でひっそり隠棲 1000万円で生き残る

【奴隷と自由人】「働かなきゃいけない人生」vs「働かなくていい人生」

「現代はだれでも平等で自由な時代だ🤗」

とは一種のプロパガンダで、将来から見れば

「労働者が奴隷扱いされている暗黒時代🌚」

でしょう。

黒人/女性/LGBTが差別される――これは解消されつつあるけど。

労働者と資本家の関係は

「部屋のなかの象」

として残っている。

「自由人と奴隷」の違いは「労働を拒否できる自由」

自由とは何よりも契約の自由に基づいて労働を拒否できる自由である(「奴隷の国家」

ヒレア・ベロックのこの定義がすきです。

ベロックがこう書いたのは1912年ですが、21世紀でもやはり重要なのは「労働」です。

  • 奴隷:働かなくては生きていけない
  • 自由人:働いても働かなくてもいい

ここに差がある。

自由ではない「自由契約」の実態

低賃金長時間労働やサービス残業など

「ブラック労働」

がはびこるのはなぜか?

「働かなければ生きていけないから」

でしょう。

今日の自由契約なるものの大半はライオンの契約であり、一方は契約しようがしまいが自由だが、他方は契約に代わる選択肢は飢えであるためにそうした自由を持っていない。

お金持ちなら「不利な契約」を選ぶ必要はない。

すぐに打ち切ることができます。

「この職場サビ残あるの? やってられんわほなさいなら👋😘」

これが真の自由契約です。

しかし、貧乏人は不利な条件でも働きつづけなければいけない。

そうしなきゃ「終わり」だからです🥺

さいきんアメリカで働く人の動画を見ましたが、やはり就労ビザを餌に低賃金でこき使われるらしい。

日本で働く外国人労働者も同じ状況といえます。

だれが奴隷になるのか――家ガチャと貧困

奴隷を生んだのは貧困だった。
人員補充の原因そして奴隷制の恒久的な支えとなったのは、貧困ゆえに自分を奴隷に売った人間か奴隷として生まれ落ちた人間だった。

  • 貧乏人
  • 奴隷の子ども

が奴隷に転落する。

「奴隷の子は奴隷」

ってのは古代から現代まで同じ。

アメリカで貧困層に生まれたらエリート大学に入るチャンスはほとんどない。

エリート校に占める割合は、所得下位10%、20%の学生は5%を下回るのに対して上位1%の学生は近年10%を上回ります。そして、エリート校における所得上位1%の学生の占める割合は近年増え続けており、所得格差の広がりがエリート校の学生の割合にも現れていることが確認できます。(エリート校は裕福な学生だらけ、貧しさの連鎖は続いている - GIGAZINE

「必死に勉強すれば高学歴エリートになれる🤓✨」

という立身出世メリトクラシーは現代でもあるけど。

だんだん「現実」が見えてきている。

(もちろん北欧のように教育格差の少ない国もあるけど、それはそれで国ガチャ……😂)

セミリタイアで「自由人」になる

ただ――世の中いろんな裏技があります

古代の奴隷制と同様、奴隷を抜けだす方法はいろいろあります。

現代ではそのひとつがセミリタイアです。

貧乏セミリタイアだとほとんど「だれかの主人」ではありませんが。

少なくとも「だれかの奴隷」ではありません。

さきほどの定義を思い出すと

「労働を拒否できる自由」

があれば奴隷ではありません。

貧乏リタイアはお金に乏しいけど、節約術や自分で稼ぐ能力で生きていけます。

「労働を拒否する自由」

があるのです。

自由人と奴隷では「生活のカテゴリ」が違う

貧乏セミリタイアすると

  • 高収入エリート会社員
  • 底辺労働者

とは

「人生のカテゴリが違う」

と感じます。

セミリタイアすると

「労働者」

にあまり共感できなくなる。

「生きてる世界が違う」

と感じます。

それよりは、世の大金持ち系により共感できるようになった。

私はべつに大金持ちを崇拝することはないし、むしろ彼らは不自由な人に感じるけど。

ともあれ彼らの言うことはわりと理解できるようになりました。

  • お金を稼がないと生きていけない
  • だれかに頭を下げないとお金をつくれない
  • イヤなことでもガマンしなきゃいけない
  • 不平を言わず盲目的に働くことは良いことだ
  • 自分よりも職場を優先しなきゃいけない
  • 社会を利用するよりも社会に利用される

「働かない生活」

してると奴隷マインドが消えていきます。

  • 「ぼちぼちエリート会社員」
  • 「貧乏セミリタイア(底辺自由人)」

両方を経験しましたが、後者の方が断然いいですね。

終わりに 自由はわりと近くにある

  • じゃあなんでみんなセミリタイアしないのさ?
  • 脱奴隷しないのさ?🤔

というと、ベロックは110年前に言っている。

蓄財やら必死の脱走やら主人へのへつらいやらで奴隷の境遇から個人的な努力で脱け出そうとする試みは、賃金労働者の隊列から抜け出して経営者の仲間入りをしようという今日の試みと同じように、大きな力をもった動きとはならなかった。奴隷の境遇は、そこに沈むくらいなら死んだ方がましな、いかなる犠牲を払ってもそこから立ち上がるべき地獄などとは思われていなかった。

結局、奴隷の生活って

「それなりに快適」

なんですよね。

決して「地獄」ではない。

奴隷に主人が必要なのと同じくらい、主人も奴隷が必要ですから。

年収400万円の社畜でも、それなりに幸福があり、それなりに快適です。

(これは古代でもそうだし、黒人奴隷もある意味でそうだった。黒人奴隷が悲惨になったのは私の理解では「供給過剰」が原因です)

「奴隷もそれなりに幸せ」

なのです。

でもせっかくなら

「自由に生きる」

方が私はハッピーだと思いますね……😘

←この本すこ😚

関連:自由とは「労働の拒否」にあります
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ブログ制作日 2019年11月5日 エンジョイリタイアライフ!