☆奴隷のつくりかた☆
- 戦争をしかける
- 相手を半殺しにする😭💥👊😡👊
- 「命だけはお助けを! ななななんでもしますから~🥺💦」
- 「しゃーねーな生かしてやる。でもおまえの命は”俺のモノ”だからな?🤭」
- 交渉成立!
むかしの奴隷と現代の賃金奴隷
奴隷制ってけっこー合理的です
主人には合理性がある。
殺してもいいところを殺さなかった。
だからその命は俺の「モノ」だ――。
これってけっこー論理的。
タンスでもパソコンでも、捨てられるのは「所有者」です。
「奴隷の命」も捨てようと思えば捨てることができる――ところを捨てなかった。
だからそれは主人のもの。
奴隷には合理性がある。
命乞いなどせず、死んでもよかった。
実際、古代の戦争で
「奴隷の屈辱を受けるくらいなら」
自死するのはふつーのことだった。
「奴隷となって生き延びる」
ことを選択したのは「自己責任」ともいえる。
◆
つまり、奴隷制は「契約関係」ということができる。
恐ろしく不当な契約かもしれないけど😜
資本主義の「賃金奴隷制」も同じです
奴隷が誕生してから数千年の現代でも同じこと。
労働者は、ひとりでは資本主義社会では生きていけない。
生産手段をもたないから。
- 農地があれば社畜にならなくても食っていける
- スキルがあればフリーランスで稼げる
- 資本があれば金利生活ができる
しかし、それらをもたない。
このままでは飢え死ぬ。
だから「主人」に乞わなくてはいけない。
「経営者さま、ぜひ私めに働かせてください!」
これが「戦場の敗者」となにが違うのか?
- 死ぬか
- 奴隷として生きるか
の2択です。
21世紀の賃金奴隷でも、やはり
「命乞い」
でなりたっている。
今日の自由契約なるものの大半はライオンの契約であり、一方は契約しようがしまいが自由だが、他方は契約に代わる選択肢は飢えであるためにそうした自由を持っていない。(「奴隷の国家」ヒレア・ベロック)
資本主義とは永続する戦争状態であり……。
「耐えざる侵略」
で成りたってるというわけ。
終わりに だれにも請うことなく生きる無職男性
リタイアして4年目です。
社畜時代はひたすら請うてました。
上司、経営層、先輩、顧客にアタマを下げた。
こびへつらった。
つくり笑顔をした。
リタイア生活が真に自由だと思うのは
「生きることをだれにも請うていない」
ということです。
「私を生かしてください🥺」
とだれにも頼んでいない。
社畜のように会社に依存していない。
ナマポのように国に依存するわけでもない。
「自分の力」
で生きています。
つまり、戦争状態/敗北状態を脱している。
- 働きたくないときに働かない
- 会いたくない人には会わない
「自由人の尊厳が得られる」
それがリタイア無職ライフってわけです……😘
自由に代わる選択肢はただ一つしかない。即ち自由の否定である。気の向くままに働いても働かなくてもいい自由があるか、さもなければ、国家権力を後楯にした法的強制によって労働する義務を負うか、である。第一の場合、彼は自由な人間である。第二の場合、彼は紛れもなく奴隷である。(同)