奇妙な社畜ワールド
「だれもが自由を求める」
というのはウソです。
「支配されたい」
というヘンタイもいます。
「自発的隷従する」社畜たち
「どーしてひとりの暴君に1000の民が従うのか?🤔」
これがラ・ボエシの疑問でした。
1000人がひとりを倒すのはかんたんです。
でも、現実には1000人は暴君にしたがいます。
命令でアホなことをさせられたり、厳しい税金をとられたり、戦争でバタバタ死ぬ。
ボエシはこう結論するしかなかった。
「人々は”自発的に”隷従するのだ!😲」
そう。
ひとは暴君に「協力」するのです……。
あなた方が、自分からものを奪い去る盗人をかくまわなければ、自分を殺す者の共犯者とならなければ、自分自身を裏切る者とならなければ、敵はいったいなにができるというのか(「自発的隷従論」ラ・ボエシ)
「社畜」とかいう自発的隷従者
信じられないことに、民衆は、隷従するやいなや、自由を余りにも突然に、あまりにも甚だしく忘却してしまうので、もはや再び目覚めてそれを取り戻すことができなくなってしまう。なにしろ、あたかも自由であるかのように、あまりにも自発的に隷従するので、見たところ彼らは、自由を失ったのではなく、隷従状態を勝ち得たのだ、とさえ言いたくなるほどである。
「隷従状態を勝ち得た」
そんなかんじの社畜は多い。
- 「オレは会社に認められた優秀な社員なんだ!」
- 「オレはこんなすごい仕事をしてるんだ!」
- 「オレはエリートなんだ!」
ニート目線だと
「なにいってだ」
となるんですが……😅
なぜひとは自発的服従するのか?
確かに、人は先ず最初に、力によって強制されたり、打ち負かされたりして隷従する。だが、後に現れる人々は、悔いもなく隷従するし、先人たちが強制されてなしたことを、進んで行うようになる。そう言うわけで、軛(くびき)のもとに生まれ、隷従状態の元で発育し成長する者達は、もはや前を見ることもなく、生まれたままの状態で満足し、自分が見いだした物以外の善や権利を所有しようなどとは全く考えず、生まれた状態を自分にとって自然な物と考えるのである。
したがって、自発的隷従の第一の原因は、習慣である。
だからこそ、どれほど手に負えないじゃじゃ馬も。始めは轡(くつわ)を噛んでいても、そのうちその轡を楽しむようになる。少し前までは鞍を乗せられたら暴れていたのに、今や馬具で身をかざり、鎧をかぶって大層得意げで、偉そうにしているのだ。
ボエシは「習慣」に原因を見出しています。
「なんだこの会社……ここがおかしい、あそこがおかしい!😨」
と新社畜は思います。
が、10年もすれば
「おかしいと思うだろう? 私もそうだった。でも、石の上にも三年。清濁併せ呑む。それが社会人になるということだよ🤗」
と言う側になってます。
「飼いならされる」
のです……😅
解放はかんたん――「自分のためにならないことはしない」
圧制者には、立ち向かう必要なく、打ち負かす必要もない。国民が隷従に合意しない限り、その者は自ら破滅するのだ。何かを奪う必要など無い。ただ何も与えなければよい。国民が自分たちのために何かをなすという手間も不要だ。ただ、自分のためにならないことをしないだけでよいのである。民衆自身が、抑圧されるがままになっているどころか、敢えて自らを抑圧させているのである。彼らは隷従を止めるだけで解放されるはずだ。
私は日本の社畜文化が嫌いです。
なので、自分の利益にならないかぎりは
- 働きません
- 納税しません
- 結婚もしません
それで「ひとりユートピア」が実現してます。
↑こわい世界😭 ←おいしいビール!😍 (バタシーのバーの看板、超好き)
私みたいな人が増えたらどーなるか。
「社会が崩壊する!😭」
というかもしれない。
でも、こう考えることもできます。
「人間を苦しめる社会なんて崩壊した方がいい」
関連:【反社会的無職】「独立のための戦い」それがセミリタイアです
終わりに ヘンタイたちの社会で自由に生きる
それにしても、なんと言うことか、自由を得るためにはただそれを欲しさえすればよいのに、その意志があるだけでよいのに、世の中には、それでもなお高くつきすぎると考える国民が存在するとは。
この社会はへんてこグロテスクです。
「ぼくちんを支配してくらさい!😍」
というキモいヘンタイだらけ。
そんなかで
「ふつーに自由を求めて生きる」
これがセミリタイアです😘
◆
社畜のみなさん。
「自由」を思いだしましょう。
そして
「自由」をゲットしましょう。
キモいヘンタイはもーやめましょう……😅
←ラ・ボエシ先生は元祖リタイア者・モンテーニュと大親友でした。両方好き……😍
関連:ニートは社会的弱者ではなく「真の強者」なのです
関連:「働かない権利」はだれもが持つべきです
関連:【37歳で退職】「モンテーニュ」が完全にリタイアブロガーです
関連:【労働はオワコン】これからは「怠け学」の時代です