って本に
「超隠居術のための八訓」
てのがあったので紹介します🤗
- 「超隠居術のための八訓」by 板崎重盛
- 1.超隠居術は世俗にわずらわされず、しかも世俗の悦楽を存分に味わい尽くすための戦略・戦術と心得るべし。
- 2.超隠居は引退にあらず。世間を相手にした、かくれんぼの要領と心得るべし。つまり、よりフットワークを軽くするための生きかたのポーズである。
- 3.よって、十分に元気なうちに隠居のスタイルを確立しなければ、パワフルで快楽的な、超隠居生活は満喫できぬものと心得るべし。
- 4.超隠居は「四義と四理」を忘却することが許された、「忘八」の境遇を獲得するものと心得るべし。……
- 5.超隠居は、上昇志向とはなにより無縁と心得るべし。
- 6.超隠居は「集会・結社の自由」を自ら厳く戒むべし。……
- 7.超隠居術は一概に年齢だけの問題ではない。超隠居術は世間と自己との”間合い”の技術と心得るべし。
- 8.超隠居には、他者から”べし”などといわれる筋合いなどない。超隠居は、なにより自由闊達の身の上であることをよくよく心得る”べし”。
- 終わりに
「超隠居術のための八訓」by 板崎重盛
1.超隠居術は世俗にわずらわされず、しかも世俗の悦楽を存分に味わい尽くすための戦略・戦術と心得るべし。
隠居することによって世俗のしがらみから解き放されるのはいいが、それと同時に、いきいきとした”現在”の楽しみや張りを手放してしまうのでは、なんにもならない。もっと調子よく、自分の都合にいい生き方をしよう、というのが超隠居術なのである。
つまり、現実のノルマはなるべく負わず、世俗のおもしろさ、楽しさは人一倍満喫してしまおうという虫のいい魂胆。
「世間はクソだ」
と隠居しても、不便で暗い生活じゃつまんない。
- 世間のクソなとこポイ👋🥺
- 世間の良いとこゲット🤗
私もよく「つまみ食い」といってますが。
隠遁生活は「社会と隔絶する」ってより「社会と適正な距離をとる」が近い。
かんたんにいえば
「うまく生きる」
ってことです……😘
2.超隠居は引退にあらず。世間を相手にした、かくれんぼの要領と心得るべし。つまり、よりフットワークを軽くするための生きかたのポーズである。
……「自分はもう、第一線を退いた身だから」と世間との対応を斜めに構えて受けながら、なにか、おもしろそうなこと、オイシソウなことがあるとノコノコ割り込んでゆく、という手に負えぬスタイル。この進退随意、いわば、「かくれんぼごっこ」の要領こそ超隠居術の基本姿勢である。
職場のつきあいや冠婚葬祭なんてめんどくさい。
めんどくさいことからは隠れてしまう。
なんかおもしろそうなこと、うまい話があれば突然でてくる。
そういう「調子のよさ」が隠居者にはある。
私もふだんは「社会から消えて」ますが。
儲け話とか楽しそうな話があれば出てきます😂
3.よって、十分に元気なうちに隠居のスタイルを確立しなければ、パワフルで快楽的な、超隠居生活は満喫できぬものと心得るべし。
「身心が元気なうちにさっさと隠居しようぜ」
と書かれてます。
けっこーセミリタイアマインドですね。
ぼくは、身心ともに、30代、40代に伍して、こころおきなく社会でフル活動できるのは50代まで、すこし多めに見ても60代半ばごろまでとふんでいる。
……と、すると”人生のピーク年齢”による一生は、実年齢の25歳前後から30数年、多く見積もっても40年と見定めておいたほうが、なにかと納得がいくことになる。
だから、極論すれば、人生のピーク30年!
「25歳~60歳(65歳)」
を著者は人生のピークとしています。
「おいしい時期」
はそんくらいしかない。
それを
- 忙しい仕事
- くだらない世間との付き合い
- 名誉・利得のため
に費やすのか?
いや、そのピークのときこそ隠居した方がいいと著者はいいます。
むしろ「気力、体力、もしかしたら人並以上かもしれない。だからこそ、いまのうちに、自分の望む、もっとも理想的なライフスタイルをつくり上げてしまおう」というくらいの、すばしっこい発想こそが、超隠居の生活を準備するものと思う。
4.超隠居は「四義と四理」を忘却することが許された、「忘八」の境遇を獲得するものと心得るべし。……
- 四義:義理、義務、正義、大義
- 四理:合理、便理、管理、倫理
これを忘れるのが「忘八」。
義理も義務も正義も大義も、それ自体はたいそう立派なことだろうが、一度、これが他の口から発せられれば、それは人を縛るための鎖となる。人間の自由な動きをさまたげ、逃げ場のないところへ追いたて拘束する責め具となる。
合理・便理・管理・倫理なども、自己をうまく、また正しく働かせる有意義なもののようだが、これらに自らとらわれると、やわらかな発想や、スムーズな心の動きが封じられる副作用を引きおこす、毒性もまた有する。
- 働かない、納税しないのは国民の義務を守ってない
- 国に給付金をたかったり、ナマポを受けることは倫理的によくない
とか騒ぐ人もいますが。
そんなん忘れたほーが楽ちんに生きられます……😘
5.超隠居は、上昇志向とはなにより無縁と心得るべし。
(続き)もともと超自己中心の境地には、他に獲得すべき「上」の事物などあり得ないからである。
「自分」がいちばん上です。
そこから上にあがる必要はありません。
地位やお金なんてなくてもすでに自分がトップ・オブ・ザ・ワールドです😎
6.超隠居は「集会・結社の自由」を自ら厳く戒むべし。……
(続き)なぜなら人間は、多勢集えば、ろくなことしか、しでかさないことを熟知しているからだ。ただし、気ままな集合離散はこの限りではない。「孤立を楽しみ、連帯にわずらわされず」こそが、自在の超隠居の知恵である。
戦争もカルト宗教も「集団」がやること。
カルト教祖や独裁者がなにしよーが
「なにいってんだあいつ🙄」
とみんながそっぽを向けばただのアホ。
まさしく集団は「ろくなことしかしでかさない」。
ただ
「好き勝手にしりあって、好き勝手に離れていく」
ような自由でゆるーい関係はいいですね。
私も登山友達とかいますがすげーゆるい。
7.超隠居術は一概に年齢だけの問題ではない。超隠居術は世間と自己との”間合い”の技術と心得るべし。
超隠居は、単なる厭世主義の隠れ場所でもなければニヒリストの外套でもない。超隠居術は、より快・楽的に生きるための、活き活きとした、エネルギッシュな生き方の技術なのである。ただ、ひとつ、世間との「間合い」に関して、足を止めて打ち合いに持ち込むのではなく、また、相手のクリンチに動きを封じられるのではなく、フットワークよろしく、ヒット&アウェイの戦法をとろうとするものである。
”間合い”の技術――
つまり世間や社会との
「適切な距離感」
をたもつこと。
社会とべったりで生活してると身動きとれなくなります。
- 毎日の8時間労働
- 仕事後の飲み会やつきあい
- 休日は家族の用事やらなんやら
につきあわされる。
これでは自分の人生を楽しめない🥺
世間からうまく「アウェイ」する。
距離を自分で調整し、自分のペースで社会に相対する。
そうして快・楽な生活をゲットする。
これが超隠居というわけ……。
8.超隠居には、他者から”べし”などといわれる筋合いなどない。超隠居は、なにより自由闊達の身の上であることをよくよく心得る”べし”。
「俺の超隠居術にも縛られたらあかんよ👊🥺」
と書かれています。
自分の人生は自分でデザインするのです😘
終わりに
「如何なる意味でもニュースの網にかかることのない隠者が真の隠者であらう。そして歴史にも文字にも何等誌されていない隠者が居たに違いなく、そういう人々こそ、隠者の本意を達し、それを孤独に実現していたということになる。そしてこの事が、隠者について云々することの真のむづかしさの根底をなすものである。
と「国文学」誌の唐木順三の記述が紹介されていた。
「リタイア者ってブログやYouTubeで食ってる人ばっかじゃん! それってリタイア者ってより個人事業主じゃね?👊🥺」
って人がいます。
そうじゃない。
ブロガーやYouTube以外のリタイア者は――
隠れて見えないんですよ。
私の近所にも元公務員の早期リタイア者が住んでます。
彼はブログやYouTubeなんてやらずにひっそり暮らしてます。
寒山拾得みたいに。
寒山拾得(かんざんじっとく)も著書で紹介されてた。きんもー☆🥺
- セミリタイア
- 超隠遁生活
かなり近いと感じます🤔
みなさんも
「人生のおいしい時期」
を思う存分あじわいつくしましょう……😘