貪りながら生きている社畜たちの中で、無職は貪らずに、安楽に生きよう
禁酒130日無職です。
労働をやめたついでに酒もやめました。
15歳で酒を飲み始めてほとんど20年ぶりにシラフですが。
海外旅行よりずっと
「グレートジャーニー」
してる感じがあります。
誘惑を断ち切る無職ライフ
禁酒するのは気持ちがいいZOY☆
- 酒を飲むと気持ちがいいのか?
- 酒を飲むと気持ち悪いのか?
- 酒をやめると気持ちがいいのか?
- 酒をやめると気持ち悪いのか?
いままでは
- お酒を飲めば気持ちいい
- お酒を飲まないのはつらい
と思ってました。
が、いまでは
- 酒を飲むのは気持ちが悪く
- 酒を飲まないのが気持ちいい
が正解だと思っています。
たしかにお酒を飲めば気持ちがいい。
イヤなことを忘れられる。
でも副作用がある。
- 二日酔いになったり
- 醜態をさらしたり
- バカになったり
- お金が減ったり
- メタボになったり
- 肝臓がんになったり
結局トータルでは
「きもちよくない🤢🤮」
となる。
悪魔vsアーラヴィカー尼な気分です
仏典の「阿含経」で、アーラヴィカーという尼さんに悪魔がいいました。
世の中に、涅槃というものはない。
孤独な修行生活などして何になる。
快楽を味わえばよいではないか。
そうしないと後で後悔するぞ。
快楽ってのは主に性欲です。
- 「若いうちにジャンジャンセックスしようぜ😘」
- 「そうしないと老いたときに後悔すっぞ😈」
というわけ。
で、アーラヴィカーはこう返す。
この世には涅槃というものがあります。
私は智慧のちからでそこに到達できました。
快楽は、剣や槍のようなもので、五取蘊は断頭台のようです。
あなたの言う「快楽」は、私にとっては「不快」なのです
(「五取蘊」は自分で調べてね)
快楽は「不快」でしかない――。
っていうか剣や槍のように危険なものだよ、と言っています。
一時的に楽しくても、そこからずるずると快楽の沼に堕ちていく。
破滅への道です。
◆
お酒の快楽も
「剣や槍のようなもの」
です。
私の人生をどんだけメタメタにしたかわかりません。
(やめてはじめてわかるんですよねぇ……🥺)
悪魔に満ちた社会でぽやぽや暮らしていく
仏典にでてくる
「悪魔」
って、べつに
「ちょー悪いこと」
を言ってるわけじゃない。
「これから毎日家を焼こうぜ!😈」
とか言いません。
わかりやすい敵役ではないのだ
悪魔のいうのはだいたい「世間一般の常識」です。
上の悪魔だってとくに非常識なことは言ってない。
- 「世の中に、涅槃というものはない」=欲望や執着を断ち切ることは不可能。断ち切ったとしてもそんな状態は幸福ではない。
- 「孤独な修行生活などして何になる」=世間の人たちと一緒に、同じように働いて暮らすのがいちばんだ。利得や快楽こそが幸福なのだから
- 「快楽を味わえばよいではないか」=セックスをしたり、お金を稼いだり、お金をたくさん使うのが楽しい良い人生だ
- 「そうしないと後で後悔するぞ」=若いうちにできるだけ楽しんだ方がいいぞ
なんか親戚のおせっかいおじさん/おばさんの言いそうな感じ。
「若いうちにもっと楽しんだら!?」
と言われたら
「うーんそうかも😗」
となってしまう。
だからこそ「悪魔の誘惑」は断ちがたい。
お酒も悪魔の誘惑が多いのですよ。
- 「お酒は楽しいんだよ~🤗」
- 「お酒はおいしいんだよ~😚」
- 「お酒を飲まないのは大人としてダメ!🙅」
こーいうのも避けなければいけない。
終わりに 貪らずに生きていく無職男性
貪りながら生きている人たちの中で、私は貪らずに、安楽に生きよう。
貪りながら生きている人たちの中で、貪ることなく暮らしていこう」
- 粗食を食べて
- 酒たばこをのまず
- ほとんど働かずに
- ほとんどお金を使わずに
- てきとーぽやぽや暮らす
そんな生活してますが。
これってたぶん仏教の出家ライフにけっこー近いです。
- お金をガポガポ使う生活はつまんねー
- お金を使わない生活ほど楽しい
- 一時的な快楽はだいたい悪い結果を生む
- だからむしろ執着を断ち切って快楽を求めることをやめたほうがいい
- それこそが長期的な快楽だ――
まあそんな仏教マインドが私のリタイア生活にもいきてます。
なにより
- 「世間(世俗)の逆をいけ」
- 「犀の角のようにただひとり無職を歩め」
という出家マインドは、セミリタイア者のマインドにかなり近いです。
そんなわけで
「スピリチュアル無職ライフ(しらふmode)」
を続けていきます……😘