友だちを断捨離
人生で最悪なことは、人生を一人きりで生きることだと思ってた。だけどそうじゃない。たくさんの人に囲まれながら、その中で孤独を感じる方がずっとつらいことだった。(ロビン・ウィリアムズ)
「そんなに友達っていらなくね?🙄」
と気づいてから生きるのがすげー楽になりました。
友だちを断捨離して「ソーシャルミニマリスト」になる
私はいま友だちがほとんどいない生活です。
無職です。
職場に気の合う同僚はいません。
ひとりぐらしです。
家族とも顔をあわせません。
毎日毎日
- ひとりでメシを食い
- ひとりで出かけ
- ひとりで遊ぶ
生活です。
「地獄のようだ🥺」
というかもしれません。
しかし、私のようなパーソナリティの人はぜひやってみてほしいのです。
「別になんともねーな」
と気づくから……😂
「友だちが必要な時代」は終わった
って記事がおもしろかった。
私たちは互いに交流する必要がありますが、これらの関係が基本的なレベル以上のつながりに達する必要はありません。強い社会的関係を持つことは素晴らしいことですが、それは私たちの生存や幸福にさえ必要ではありません. 簡単に言えば、人間は友達を持つ必要はありません。
昔は友だちがいないとヤバかった。
狩猟採集社会も農耕社会も共同作業です。
共同体から追放されたら一気にサバイバルモード😭
初期資本主義も、職場は共同体。
周囲と協調してうまくやっていく必要があった。
◆
でも現代はひとりでなんも問題ありません。
社会保障が普及してます。
コネやツテがなくても、保険証があれば医者にかかれます。
生産効率があがってます。
必要なもんはタダ同然で手に入る。
ろくすっぽお金がなくても毎日おなかいっぱいご飯食べれます😚
友だちや結婚相手がいなくても、ブログを書いたらだれか読んでくれたりします。
「友だちがいなければいけない」と思うから苦しむ
私がこれを持ち出すのは、私が何年にもわたって、友達を作ったり維持したりする能力の欠如のために苦しんでいる多くの人々と仕事をしてきたからです. これらは、多くの場合、自閉症またはその他の状態または性格特性を持ち、社会的関係が困難になる個人です. しかし、これは、人が簡単に友達を作ったり維持したりするタイプの個人ではない、または孤立した場所や頻繁な移動のために友情に問題がある可能性があるという理由だけで発生する問題でもあります.(同記事)
「友だちがいない」
これはべつにそんなに苦しくない。
「友だちがいないといけない」
と考えることが苦しい。
友だちがいないと:
- 自分には魅力がない・価値がない
- 精神的にどこかおかしいんだ
- 不幸になる運命だ
と考えてしまう。
学生のとき「ぼっち飯」という言葉が流行りましたが。
「ひとりでメシを食うことは恥ずかしいことだ。異常なことだ」
って価値観がありました🥺
一種のプレッシャーがあったわけです。
関連:【人間嫌い】「人と仲良くしなくていい」と悟ったときの衝撃
友だちがいなくても幸せに立派に生きる人はいる
これらの状況でしばしば非常に悲しいのは、友人がいないときに人々が自分自身についてどのように否定的になるかを見ることです. 彼らは、必要なことを成し遂げるという点で十分に機能する可能性があります。彼らはまた、コミュニティにかなり貢献できるかもしれません。しかし、友達を作ることができないと、自分の人生の他の側面について非常に前向きになる理由がある場合でも、自分自身について非常に否定的に考えることがよくあります.(同記事)
スーザン・ケインがいってましたが、世界を変えてきたのは多くが「内向型の人間」だった。
アインシュタインの相対性理論もミルトンの「失楽園」も、パーティ好きな人間による産物ではない(「内向型人間の時代」)
- 「友だちがいない人」
- 「コミュ障の人」
は、ほんとーは歴史を動かすすげー人間になれるかもしれない。
しかし
「ぼくは友だちがいないからダメなんだ🥺」
と自分は無価値だと感じてしまう。
これはすごくもったいない。
「友だちがいないから」
すげーことができるかもしれないのに。
ダメなヤツと仲良くしてもしゃーない
「友だちをたくさんつくって賑やかな人生を送ろうぜ!🤗」
と社会はいいます。
- ツイッターのフォロワー数が多い方がいい
- アドレス帳にたくさん人がいて、毎日電話やラインがくるほうがいい
ただブッダのような陰キャはそういわなかった。
義ならざるものを見て邪曲にとらわれている
悪い朋友を避けよ。
貪りに耽って怠惰な人に、みずから親しむな。
犀の角のようにただ独り歩め。
「悪い友だちをつくるくらいなら一人でいた方がいい」
ってブッダはいいます。
「友だちにすべき人」はめちゃんこ少ない
もちろんブッダも
「自分より優れた人にはついていきなさいよ😘」
といいます。
学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。
ただ悲しいことがあります。
無職になってぽやぽや生活して魂のステージがあがると
「自分より上」
が少なくなる。
- 数十万人フォロワーがいる人
- メデイアにひっぱりだこの人
- 年収数億ある人
- 権威ある大学者
でもどこか底が見えてしまう。
- 「そんなの傲慢だよクズ野郎」
- 「お前がいちばん底辺だろゴミ」
客観的にはそのとおりなんですが。
「この人と友だちになりたいな」
という人が身近にいねーのです。
やっぱり読書やネットに生きるしかねえ
「どーかんがえてみても俺よりこいつぁ立派だ😲」
って人もいるのです。
たとえばブッダがそう。
古代ギリシアや古代中国、中世日本、近代ヨーロッパにもいます。
でもみんな死にました……😂
本やネットでしか会えません。
もちろん現代にも
「立派なスゴイ人」
はいますよ。
でもわざわざ会わなくてもネットで発信してるからそれで十分だったり。
人生よよよ氏を尊敬してますがブログで読めるし。
この記事を書くきっかけになった(というかかなりパクった)Einzelgänger氏もブログやYouTubeで発信してます。
参考:The Social Minimalist | Can we be Happy without Friends? - Einzelgänger
「友だちは本やネットにいる」
って感じです。
山友だち海友だちとか除けば、リアルのお付き合いとかあんまいらないかなーと思います。
終わりに 「Less is More」なのです
「少ない食事」
が健康にいいことはだれもが知っています。
エサを減らしただけでラットの寿命が伸びたという有名な研究があります。
長生きして若く感じたいなら、1日1食抜くことを検討すべきだと研究が示唆している.
研究者は、ラットのカロリーを 3 分の 1 に制限すると、免疫システムが強化され、炎症が減少し、加齢に伴う病気の発症が遅れることを発見しました。
(Study on rats shows that when calorie intake is controlled, life can be extended | Daily Mail Online ※デイリー・メイル)
「少ないモノ」
が良いとさいきんよく言われます。
ミニマリズムが流行して、コンマリの片付け術は世界的なブームです。
では「少ない社交」は?
- 人と会わない時間――孤独を大事にする
- SNSを見ない
- ほんとーに会うべき人とだけ会う
- 田舎で無職でひっそり暮らす
もちろんパーソナリティによって違ってくるけど。
ド内向のひとはこっちの方がヘルシーだと思いますね……😂
われわれの本当の自由と、極めつきの隠れ家と孤独とを構築できるような、完全にわがものであって、まったく自由な、店の奥の部屋(アリエール・ブチック)を確保しておくことが必要だ。そしてこの部屋で、きわめて私的にして、外部のことがらとの交際や会話が入りこむ余地もないような、自分自身との日常的な対話をおこなわなければならない。(「エセー」モンテーニュの新訳)