そら、あらゆる種類の騒音が僕の耳に鳴り響きます!
セネカのルキリウスへの手紙がおもしろかった。
「セネカ 倫理書簡56 閑静なことと勉強について - 徒然なる哲学日記」
より引用します。
騒音には勝てなかったセネカ
セネカ「浴場の上に住んだら最悪でした」
僕が宿泊してる所は浴場の真上になります。自分の聴力を呪うほども大きな様々な騒音を想像してみて下さい!例えば、強そうな男たちが、大きな鉛の重りを使って、懸命に、あるいは懸命なふりをして鍛錬している時、僕は彼らのうめき声を聞かされます。そして、彼らが溜まった息を吐き出す度に、ぜいぜいと大きな声で息を切らすのが聞こえます。あるいは、安っぽい按摩で喜ぶ怠慢な男がいて、彼の肩を手で叩く音を聞かされます。……
セネカが悩む騒音源:
- 筋トレでウォーッと叫びハアハア喘ぐマッチョ
- マッサージでぺちぺち皮膚を叩く音
- 風呂で歌うヤツ、飛びこむバカ
- 脇毛抜かれて叫ぶ声
これはイヤすぎる……🥺
たしかに上にひびきそーだ😗
セネカ「騒音っていうか人の声がイヤなんよね……」
僕は騒音よりも言葉のほうが気が散ります。というのも、騒音は耳を打ち付けるだけですが、言葉の内容は注意を引きますから。僕の気を散らすことなく周囲に鳴り響く音の中には、通り過ぎる馬車、同じ区画の大工、近所の鋸のこぎり屋、あるいは噴水に集まって小ラッパや笛の練習をし、歌うことはなくても(吹奏楽器による)叫び声を上げる連中です。
さらに言うと、僕を煩わせるのは、継続的な音ではなく、断続的な音です。
すげーわかる😂
滝の音、波音、鳥の声のような騒音はだいじょーぶ。
しかし、家の前の道路をトラックがとおったり、上の階のヤツの足音とか、隣のジジイ老人がDIYをはじめたり、クソガキ子どもの叫び声が聞こえるとすげー気になります。
やっぱ人為的なものが注意を引く。
セネカ「不動心があるので騒音なんかに負けませんよ」
でもセネカはあの「ストア派」ですよ。
死をも恐れぬストア派が騒音なんかに負けたりしない。
しかし、こうした騒音は、僕にとっては波の音や滝の音程度のものでしかないと誓って申しましょう。
内面において何一つ騒々しいものがなく、恐怖心と欲望が僕の胸中で争い合うことなく、吝嗇と贅沢が仲違いをして苛め合うことがない限り、外側であらゆるものが鳴り響いても大丈夫です。われわれの心が大騒ぎしていたら、近所が静かであることに何の意味があるのでしょう?
ですから、君が自分自身を平穏であると確信できるのは、どんな騒音も君に届かない時、諂いであろうと脅迫であろうと、あるいは君の周りに鳴り響く空虚で無意味な戯言だとうと、どんな言葉も君を揺り動かすことができない時です。
さすがの
「不動心(アパテイア)」
です。
マッチョのうめき声にこころをかき乱されるわけにはいかない!
セネカ「騒音には勝てなかったよ……」
「それでは」君は言われる。「喧騒を逃れるだけなら、もっと簡単な方法があるのではないですか?」確かにそうです。したがって、僕は今いる所から場所を変えます。僕はただ自分自身を試し、鍛えたかっただけです。どうして僕がこれ以上長く苦しめられなくてはならないのでしょうか?オデュッセウスはあんなにも簡単な方法で、仲間たちにセイレーンに対抗する方法を求めたというのに
逃げちゃいました😂
ストア派はエピクテートスとか、マルクス・アウレリウスとかかっこいいヤツが多いんですが。
セネカは人間くさいんですよね。
節制をときながら金をしこたま溜め込んだり、それを批判されたら言い訳の本を書いたり。
◆
「そもそもなんで風呂の上なんかに住んだんだよ」
ってことですが、古代ローマでは風呂が近いと
「最高の立地」
なのです。
ローマ人にとって公衆浴場は社会生活の重要な一部だった……飲食、運動、読書、商売、哲学的議論などができる場所だった。現代の同等なものを想定するとすれば、それは図書館、美術館、ショッピングモール、バー、レストラン、ジム、温泉が複合された施設である。(古代ローマの公衆浴場 - Wikipedia)
ただ、便利がゆえに人が集まる。
喧騒が起きる。
現代と一緒ですね。
トキョ……駅
終わりに セネカの気持ちがわかりすぎるHSP気味おじさん
2000年の時空を超えて――
セネカの気持ちがわかり無職です。
私も騒音がクソ苦手。
- 学生時代の木造アパートでは壁に穴をあけ、天井にも穴をあけました
- 社畜時代は賃貸一戸建てに住み、それでも外の自動車騒音に悩まされました
- そしてマンションの最上階角部屋に住みましたが、やはりいろいろうるさかった
そんで田舎に一戸建てを買いました🥺✌
いま住んでるとこはほぼ無音です。
鳥の声、猫の声が聞こえますが……。
人の声はない。
家の前の道路も自動車も1日に数回しかとおりません。
庭木を切り無職
すげー初期の記事:150万円住宅が静かすぎてなんか怖い
もちろん「不便」な場所ですが……。
「静けさ」
ほど貴重なものはないですね😚
勉学のために引きこもる者にとって、閑静なこと以上に必要なものがあるとしたら、僕は死んだ方がましです!
人生は基本的に引き算ゲー。
快楽を増やすより、不快なものをとりのぞいた方が幸せになれる。
お金がない、仕事がない、家族がない――それはそれでハッピーですから。
「騒音がないことの喜び」
をかみしめて暮らしていきたいですね……😘
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