- がんばるのはアホ
- あきらめるのが賢い
日本人は「がんばる」が大好きです。
「がんばれー!」と叫びます。
でも、鬱病の人に
「がんばれ!」
というと死にます。
そんなヤバい言葉は使わない方がいいでしょう……🤣
「がんばる」はクソ
1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。「―・って自説を譲らない」
3 ある場所を占めて動かないでいる。(小学館)
「がんばる」
の語源ははっきりしません。
- 「我を張る(主張を曲げない)」
- 「眼を張る(見張る)」
ともいわれる。
ともあれ、がんばるという言葉で浮かぶのは
「持ち場を離れず耐える」
イメージでしょう。
- 上官が兵隊に前線死守の任務を与えて「がんばれ」
- 上司が社畜に仕事を与えて「がんばれ」
- 親が子どもに受験目標を与えて「がんばれ」
「がんばる」はそーとーアホくさい理由2つ
がんばるは「弱者向けの言葉」です。
上司に「がんばってください」といったら「何様だこいつ……😅」となります。
「がんばれ」
は基本的に、強い人間が弱い人間にいう言葉です。
上司―部下、親―子ども、主人―奴隷。
がんばるは「思考停止」です。
上官がいいます。
「なんとしても前線を守れ!」
兵士はいいます。
「敵が多すぎます! 武装も貧弱! 無理です!😭」
そこで上官はいいます。
「いいからがんばれ!」
はい、全滅です。
「がんばれ」
ってのは
「立場の弱い人間にバカな行動をさせる」
言葉といえます。
究極的に日本人が「超がんばった(がんばらされた)」のはWW2です。
結果は?
原爆を落とされた🥺
「さっさと諦めた方がよかった」
――これはほとんどの歴史学者の共通認識でしょう。
あきらめるは明らめる
「あきらめる」
は「がんばる」の反対です。
- 困難にめげて我慢しないでやめる
- 自分の考え・意志を通そうとしない
- ある場所から離れていく😗
「でもあきらめたらダメってよく言うじゃん🥺」
- 逃げちゃダメだ
- あきらめたらそこで試合終了
社会は繰り返しいいます。
まーあたりまえです。
社会は奴隷にがんばってほしいのです😅
◆
でも、仏教ワールドでは「諦」は超重要です。
諦(たい、梵: सत्य, satya、サティヤ、巴: सच्च, sacca、サッチャ)とは、仏教において真理や悟りを意味する語。(諦 - Wikipedia)
真理=諦めです。
諦めるは明らめる。
知恵の光で遠くまで見とおすこと。
「できることはできるが、ムリなもんはムリ😅」
と知ることです。
仏教では「一切は苦しみだ」と知ることが「諦める」となります。
私たちは苦しみから逃れようとします。
- 良い大学に受かれば苦しみはなくなる
- お金を稼げば苦しみはなくなる
- 結婚して子どもができたら苦しみはなくなる
でも苦しみは消えません。
なぜか?
「それが真実だから😘」
とブッダはいいます。
まあネクラな考え方です。
でも、真実は真実として受けいれた方がいい。
その方が賢い行動ができますから。
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終わりに あきらめると人生はたのしー
- 私の才能ではこの社会で成功するのはムリ
- 成功したところでたいしていいこともない
- アホな人間はどーにもならん
- 腐った社会を直すのもムリ
- 金持ちになっても結婚しても幸せにならん
- セックスも美食もたいしておもしろくない
33歳にもなりゃーいろいろ悟ります。
- 「そんな人生つまんなそう」
- 「バカになってがんばったほうが充実するのでは?」
でも、私は諦めてから人生がスーパー楽しくなりました。
諦めたら試合終了かもしれないが。
人生は
「はじまる」
のです……😘
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