リタイアすると人は変わる
最初の1年ぐらいは楽しげに趣味に生きてて「いいなー、羨ましいなー」とか話してたけど、2年目の途中ぐらいから如何にもネットがどこかで拾ってきたような浅い知見を披露することや、著名人を含め他人を非難するような発言が増えてきた。
3-4年ぐらい経った今となっては話しててもすぐに何かの批判になったり、自分の経験だけから何かを決めつけるような発言が増えて、話すのもしんどくなってきた。
また、彼の変化も残念なんだけど、仕事を辞めてどうしても他人との関わりが減ると、人間、ネット等のパッと見やすい意見に流されてこの様になってしまう者なのだろうかと、早期引退を考えそれなりに貯蓄等している自分も怖くなってきた。
この記事が話題になってるよーです。
仕事をやめると人は変わる
私はリタイア一年生です。
二~三年目に「老害化」しないとも限らないのですが、「仕事が辞めるとはどーいう変化をもたらすのか」はぼんやり掴んでます。
リタイアするとバカになる
リタイア生活はCPU30%くらいの負荷
非情な現実ですがリタイアするとバカになります🤣
これはある意味当然です。
人がもっとも性能を発揮するのは、負荷がかかったときだからです。
「火事場のクソ力」という言葉がありますが。
なんらかのストレスがあった方が能力は発揮されます。
たとえば多くの人にとって「大学受験時」が知性のピークですが、それは受験が強力なプレッシャーを与えるからです。
しかし、リタイアライフに脅威はありません。
社畜が思うよりずっとイージーライフです😚
CPUの負荷率30%くらいでぽやーんと暮らすことになります。
ストレスがない代償として、脳が衰えることは避けがたい。
実際私も「バカになったな~🤔」と思うことがあります。
これは認めざるを得ないですね。
リタイアすると批判的になる
著名人を含め他人を非難するような発言が増えてきた。
これはあるあるですね。
まー私はリタイアする前からそんな感じでしたが。
リタイアすると他罰的になります。
つまり社会とか有名人とか、自分以外の人やシステムに批判的になります。
その大きな理由のひとつは、他人に怒られることがないからです。
大企業の社長でもオーナーや株主や取引先に怒られたりします。でもリタイア者を怒る人はいません。
必然的に、「自分は自分であっていいのだ」となります(そしてそう考えた方が多くの場合健全です)。
第二に、リタイアすると社畜時代を遡及的に分析することが可能になります。
リタイアすると、社畜時代を思いだすことが多いんですよね。よーはフラッシュバックです🤣
裏切り、叱責、嘲笑、憎悪、屈辱、失望……。
社畜ライフは、その多くがトラウマによって成り立ちます。学校でも企業でも軍隊でも同じですが、トラウマを植えつけて訓育するのがもっとも効果的なのです。
「友人」も激務な職場とのことで、そうとうなトラウマがあるでしょう。
トラウマを反芻するうちに気づくのは、「悪いのは自分ではなく社会だった」ということです。
毒親に育てられた子どもの洗脳が解けるようなものです。
そーいう人間がどーなるか?
他者を批判し、社会を批判するようになるのです🤣
たしかにそれは「老害化」に見えるかもしれない。
でも実際、個人は悪くなくて社会が悪いことは多いのです。
社畜の多くが「社会は正しいんだ、自分が間違ってるんだ」と思うのは、結局社会がそう思い込ませているにすぎない。
私はこの点は否定しなくてもいいと思ってます。
関連:【社会はクソ】リタイア隠遁生活のすすめ
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問題は「知性の劣化」です
批判的態度は良いのです。
でも、そこに「知性の劣化」が加わると「老害」となるのでしょう🤣
リタイアすることでヤフコメレベルの知性に落ちる人もまあまあ想像できます。
まさに「小人閑居して不善をなす」。 そういう人は何でもいいから何かで多少忙しくしていたほうがいいのかもしれないですね。(https://anond.hatelabo.jp/20200908134750)
リタイア生活は自由です。
なにをしてもいいし、なんでもできます。
そして「アホになる」こともかんたんなんですよね。
バリバリ働いてた人でも、リタイアして朝から酒を飲んでテレビをだらーっと見てればアホになれます。
まあリタイア生活なんて好き好きですが、私はリタイアしたら「知性の劣化」を意識的に避けた方がいいと思います。
これは別に教養なんて必要ないんです。筋トレと同じ。
読書や勉強のような知的トレーニングを習慣化すればいいだけ。
脳も筋肉も同じなんですよ。使わないと衰えて、健康を失う。
賢者は、自分がつねに愚者に成り果てる寸前であることを肝に銘じている。だからこそ、すぐそこまでやってきている愚劣さから逃れようと努力を続けるのであり、そしてその努力にこそ英知があるのである。これに反して愚者は、自分を疑うということをしない。つまり自分はきわめて分別に富んだ人間だと考えているわけで、そこに、愚者が自らの愚かさの中に腰をすえ安住してしまい、うらやましいほど安閑としていられる理由がある。 (「大衆の反逆」オルテガ・イ・ガセット)
←上記引用はちくま学芸の神吉敬三訳ですが、5月に岩波文庫が出版してた😳
補遺:「増田が見る世界」と「友人の見る世界」
私はおおむね増田(←投稿主のこと)の言ってるとおりだとは思うんですが、やはり考えておくべきことがあります。
増田が「友人」を否定するのは、ただ価値観の相違にすぎないのではないか、ということです。
リタイアすると価値観は大きく変わります。
とくに労働の不毛さを思い知ることになる。
一般的な会社員と、ぽやぽや暮らす無職人間とは意識も価値観も違います。
「如何にもネットがどこかで拾ってきたような浅い知見」と見える主張が、実は客観的には正しい意見ということもありえます。
リタイア者の多くが「リタイアすると孤独になる」と言います。特に「会社の同僚との関係は1年もてばいいほうだ」と。
それは生活リズムが違うだけでなく、根本的に「ハナシが通じなくなる」のです。
元記事の「老害」は、「増田はあいかわらず社畜マインドだな😅」と思ってるかもしれません。
終わりに 「リタイア者は不幸」とひとは思いたがるけど
この記事が話題になったのは、つぎのマインドがあると思います。
「ほら、やっぱりリタイアはよくないんだ。働いてる方が幸せなんだ」
ありがちな考え方です🤣
「一生懸命働いてる人が報われてほしい」と労働者は願っています。
- 「俺の生き方がいちばんいいんだ」
- 「いまは大変だけど、アリとキリギリスなんだ」
- 「まじめに働いた俺が報われるはずだ」
というものです。
労働者は「中世の鞭打ち苦行者」でありたがる。
すすんで自分を傷つけて、だから自分は報われるのだと考える。
一方で、リタイア者は彼らの目には「改宗者」あるいは「無神論者」、つまり異端です🤣 「神の罰」が下るべき存在です。
「リタイア者は実は不幸なのだ」という情報はネット上に多い。
現実には、自発的にリタイアした人のほとんどは満足しているのにです。
なぜなのか?
第一にマス層(労働者層)を慰めて安心させた方が売れるからです。
第二に、メディアも労働者層がつくってるからです🤣
だからあんまあてにしない方がいいんですよね。
リタイア者は、たしかにアホになる。
それでも社畜ライフよりはハッピーです。
狩猟採集民は文明人よりアホですが、ずっと生き生きと幸せに暮らしてる。
これと同じよーなもんです😘
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