リタイアライフは「量より質」なのです😘
ひきこもりは形のないものを大事にする……しかし、日本ではそういったことを許す場所がないので、声をあげることができない……挑戦する人、間違いをおかす人、自分で物事を考える人は、日本を離れるか、ひきこもりになるしかない。
Hikikomori value the intangibles ... but cannot speak out because there is no place in Japanese society that allows them to. ... A person who challenges, or makes a mistake, or thinks for himself, either leaves Japan or becomes a hikikomori.(マイケル・ジーレンジガー「Shutting Out the Sun」より訳)
これは日本の引きこもりのお母さんのインタビューからです。
「the intangibles」ってのがおもしろいなーと思いました。
intangibleは「触れることができない」って意味ですが、「抽象的」という意味もある。
たしかに私たちはあまりに即物的な価値観をもっているのかもしれない🤔
社会は数字に支配されている
無職はなんでバカにされるのか?
「年収0円だから」でしょう。
年収ってのは私たちの社会では強力な価値規範です。
年収2000万円は褒め称えられるが、無収入はゴミクズのように扱われる。
学生時代では、偏差値ばかり追いかけます。
大人になったら、年収を追いかけます。
これが「tangible(具体的/実際的)」な世界です。
人間の価値は数字になる。
それはつまり、人々が数字に支配されることを意味します。
究極的には、国家は「GDP」という数字を追いかけます。
自然を破壊しても、人々が不幸になっても、数字を追いかける。
なぜなら、GDPはtangibleですが、幸福や環境はとらえどころのないintangibleなものだからです。
クオリティー(質)ではなくクオンティティ(量)の現代社会
tangibleの世界は量が崇拝されます。
大企業で何ら生産性のないクソ仕事をしていても、年収2000万円ならすばらしいとされる。
クソみたいなツイートばかりしてバカなフォロワーだらけでも、フォロワー数さえウン十万人ならすごいとされる。
数字が支配される世界には「クオンティティ」があるが「クオリティ」がない。
私たちはこのクオリティを見失っているように思います。
よく、日本文化は「和の文化」「ワビサビ」「ローコンテクスト」とかいいますが。
これは現代にはもう当てはまらないでしょう。
すべてが数字です。
年収が大好き。偏差値が大好き。貯蓄額が好き。GDP、順番、レビューの点数、再生回数が大好き。
見えないものを大切にしたいから引きこもります
私も冒頭の引きこもりと同じです。
intangiblesなものが好きです。
たとえば、登山したからって何も手に入るわけではない。
釣りをしても(いまのところ)費用対効果はマイナスです🤣
ブログの収入だって時給300円あればいいくらいです。
でも、私は自分がハッピーに暮らせている自信があります。
それは私の生活が、intangibleなところで充実しているからです。
楽しくハッピーに暮らすのに、10億円はいらないし、10万人のフォロワーもいりません。
そんなのなくても「ハイクオリティー」な生活は実現できるってわけ😘
終わりに 狂った社会から「離れる」
- もっと年収を増やしたい。
- もっと資産を増やしたい。
- もっとフォロワー数を増やしたい。
多くの人が「量」を追い求めます。
しかし、「質」がないかぎり、どこまでいっても幸せになれない。
- 東大卒のバカ
- 惨めな生活をする金持ち
- 寂しく満たされない人気者
そんなのはいくらでもいます。
クオンティティではなくクオリティを満たすにはどーすればいいのか?
ひとつの方法として、「隠遁(ひきこもり)」ライフがいいのかもしれません。
私はいま、働かず、ひとりで、田舎の山の上の一戸建てでぽやぽや暮らしています。
社会の中心を離れるほど、ハッピーになれてます。
ほんとうにハッピーになりたいなら、「成功者」になるのではなく。
「隠者」になった方がいいのかもしれませんね……🤣
←「Shutting Out the Sun」の和訳本。今日借りてきました😘
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