30歳1000万円でリタイア

150万円の家でひっそり隠棲 1000万円で生き残る

セミリタイア者に「飢え死にする覚悟」はあるか?

働かないで生きていくなんてムシが良すぎる

「食えなんだら食うな」

という本がファンキーでおもしろかった。

ソバ屋でモチをつまらせそ―な坊主だ😗

食えなければ飢え死にすればいい

「お寺が貧乏すぎて、兼業しなきゃいけないっぽい😥」

と、ビンボー寺をつぐ青年が著者に相談した。

私は、「兼職などという厭らしい誘惑に負けるな」と激励してやった。「だって」と青年は、言葉をかえした。兼職しなければ、食っていけない寺なんです――。
それでいいではないか。食えなければ食わねば宜しい。

「働きもせず、好きなことをする」人間は飢えて当たり前

いったい、高祖禅師(道元)いらい、お寺へ入ったら食える保証など、どこにもあったためしはない。お寺で食えるというのが間違っているのであって、お寺は食う処ではない。

もったいないことに、自分の修行に夢中になっているために、お百姓さんのように一粒の米も生産することができないから、行乞(ぎょうこつ)に出て、すみませんといって、一握りの米をタダで頂戴して、生き永らえさせてもらっている。

自分は僧侶として好きなことをやっているのだから、一握りの米も頂けなくなったら、誰を恨むでもない。そのときは、心静かに飢え死にすればいい。高祖いらい、みんなその覚悟でこられたからこそ、こんにちの禅門があり、禅僧といわれる人は、その祖風をしたって仏門に入ったはずである。

「悟りを開きたい🥺」

と、仕事もせずに座禅するのが禅僧です。

働きもしねーのに食えてるのは、一般ピーポーに乞食してるから。

「働かない人間が飢える」

のは、本来ならあたりまえ。

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著者:ミクさん - 問い合わせ- 全記事 - 当サイトの著作権は有料領域以外はクリエイティブ・コモンズの表示—非営利となります。
ブログ制作日 2019年11月5日 エンジョイリタイアライフ!