自由とは負債のないこと
「セミリタイアしたいけど、奨学金が……😭」
というひとがいます。
借りた金なんて返さなくていいです。
全力で逃げましょう……😘
借金から解放されて自由をゲットしましょう
お金とはなんぞや?
もともと「資産」は穀物でした。
狩猟採集民は肉とか野草を食ってました。
これはすぐにダメになってしまいます。
独り占めしてもしょうがないので、平等に分配しました。
農耕がはじまると、小麦やお米を育てるようになります。
これらは長持ちします。
おまけに、定住生活なのでもちはこばなくていい。
大量に保存することができます。
そこで「資産」という概念ができた。
ただ、穀物は管理がたいへんです😥
- 古くなります
- カビます
- ネズミがカジリます🐭
- 泥棒や強盗がやってきます
なのでネズミが入れない立派な蔵を建てたり、門番をつけたり、猫を飼ったりする必要があった😹
当然コストがかかります。
資産は「どんどん減っていくもの」だった。
「負債」の発明がお金を生んだ
資産はどうやって「減らないもの」になったか?
「ふむ……余った穀物を他人に貸したらどうだろう🤔」
という人がいたときです。
- A「今年はたくさんお米がとれたぞ🤗」
- B「おらんちは土地は狭いし子だくさんでとてもお米が足りないだよ😭」
- A「困ってるみたいだね。うちは余ってるからおすそ分けするよ🤗」
- B「これは助かるだよ。Aさんは命の恩人だ……😭」
- A「でも、いつか返してね?」
「記録しておくからね……?」
「ゼッタイ、返してねぇ……👿」
ここで「負債」が生まれました。
Aはお米を渡すかわりに「借用書」をゲットしました。
Bはお米を得るかわりに「負債」をかかえました。
- 借用書は保管に便利で、わざわざ蔵を建てる必要がありません。
- 持ち運びに便利で、市場で売買するのがかんたんです。
- 時間とともに価値が減りません
まさにお金ですね……🤣
実際、借用書こそがお金のベースなのです。
(アダム・スミスの物々交換論は否定されてます)
「価値が減らない」
とはどーいうことか?
Bがお米30kgを借りたとします。
それは1年経っても、2年経っても「30kg」を返さなければいけないのです。
(インフレやデフレで価値が変わることはありますが)
Aにとっては、管理コストがかからないで同じ量がゲットできます。
しかも、場合によっては「利子」をつけて増やすことも……。
「利子」とは時間への対価
「他人になにか借りなきゃいけない😭」
のはどういうときでしょうか。
困ってるときです。
消費者金融にかけこむ人は、みんなお金がない人です(あたりまえ)。
一方消費者金融の人は
「お金を貸しても貸さなくてもいい」
という立場にあります。
お金の価値は減らないからです。
ここに「不平等」があります。
お金のない人は高い利子を払ってまでお金を借りることになる。
「いま」お金が必要だからです。
これは銀行でも奨学金でも同じ。
つまり利子とは「時間への対価」なのです。
bankの語源を尋ねると、ゲゼルが指摘しているのですが、安楽椅子という意味が見出せます。普通の金融経済学者は、bankの語源についてイタリア語のbancoまでしかたどりません。banko、つまり記帳台がその語源だというのです。しかし、これをもっとさかのぼりますと、古ゲルマン語のbankiに突き当たるというのです。bankiはゲルマンの類似から「安楽椅子」という語義が生まれたそうです。bankに至るまで、その語義は継承されています。銀行はお金を扱います。お金は、もっていても劣化しません。取引でお金をもつほうはもちつづける余裕をつねにもっています。取引で自分が有利になるまでもちつづけることができます。お金を持つものは「安楽椅子」に座るがごとく待っていればいいのです。ここにお金の力の根源がありますが、銀行はそれをもっているのでBANKといわれるわけです。(「エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと」)
借りた金を返さなきゃいけない場合もあります
「借りた金を返さないなんて人として終わってる!😡」
という道徳が一般的です。
これは「平等な関係」なら正しい。
たとえばラーメン屋にいって、財布を忘れました。
そこで友人に1000円借りました。
でも、返しません。
返せるのに返しません。
これは「悪」です。
友だち失います……🤣
借りた金を返さなくていい場合
でも、たとえば奨学金の場合はどーでしょうか?
借りるのは「ちゃんとした教育を受けたい(受けさせたい)がお金がない人」です。
貸す方はどうか?
「うちは金が有り余ってんだわ。金が足りない? 貸してやってもいいぞ。でも、利息はつけるぞ! イヤならいいんだよ、貸さないからな」
さて、奨学金を借りた人は大学を出たけれど、就活でうまくいきませんでした。
ワープアになっちゃいました。
「すいません、お金が払えません……生活が苦しいです😭」
貸した人はブチギレです。
「ああ? ふざけんじゃねえぞ。ちゃんと返せよ。返さなきゃ、犯罪なんだぞ。法的に裁くぞ」
そして、その回収のやり方にも批判が強い。延滞が4カ月になった時点で、債権回収会社(サービサー)に回収業務を委託し、延滞9カ月でほぼ自動的に裁判所を利用した支払督促まで進む。また、時効にかかった債権があっても、相手から積極的な主張がなければ減額することなく主張してくるという。さらに、一般的な金融業者とも異なり、債権のカットなどにもほとんど応じない。(奨学金が「貧困ビジネス」と言われる根本原因 | 奨学金制度はどうあるべきか | 東洋経済オンライン)
「お金持ちが、お金のない人からお金を奪う」
あきらかに、悪いのは
「金を返さない方」
ではなく
「とりたてる方」
ではないでしょーか?🤔
◆
反対のひとを想像してみましょう。
「ビンボーな若者諸君! ぼくは大金持ちだ! 君たちにお金を配ってチャンスをあげよう!😘」
これはあきらかに「正しい」。
困ってる人を助けるのはよいことですから。
まあ実際こんな金持ちはいません。
なので、リベラルな国では税金で大学が無償化されたり、学生に生活費をあげたりしてます。
不平等契約は「奴隷と主人関係」になる
この「不平等」ってのが現代社会の病巣なのです。
賃労働でも同じことです。
- 資本家は給料を払えるだけのお金をもってます
- 労働者は生活するためのお金が「すぐ」必要です
だから労働者は資本家に頭をさげて賃金労働をしなきゃいけない。
ブラック企業でこき使われても、辛抱しなきゃいけない。
「労使関係は平等」
ってのは幻想なのです。
金貸しと借りる人が平等ではないように。
結局この世は不平等
平等ってのは虚偽です。
私たちの社会はあいかわらず不平等です。
主人と奴隷がいるのです。
奴隷制の歴史を勉強したらこう思うでしょう。
- 「奴隷制なんて許せない!😡」
- 「主人から逃げだしちゃえばいいのに😭」
私は同じことを、賃金奴隷とか借金奴隷を見て思うのです。
逃げちゃえばいいんよ、と……🤗
だって、金貸しは金をもってます。
あなたはお金がない。
どうして金貸しにお金をあげる必要がありますか?
ひとりの人間が貧しくなって、不平等がさらに拡大するだけです。
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終わりに 「負債」から逃げよう
- 借りた金は返さなきゃいけない
- 働いて税金収めて社会の「借り」を返さなきゃいけない
- お給料をくれる会社のために「恩返し」しよう
- 自分という存在は両親から「借りた」ものなんだ
そーいう考え方はやめましょう。
「負債を負っている」という感覚は「自由の敵」です。
親に恩返しとか、したくなきゃしなくていい。
奨学金とか、銀行から借りた金なんて返さなくていいんです。
法的にはともかく😂 道徳的にはそれで正しい。
まあ私は「借金から逃げる方法」なんてしりません。
「払うしかない」ならさっさと払いましょう。
賃金労働も同じ。
「働くしかない」なら働きましょう。
でも、最低限にしときましょう。
「奴隷の期間」
は短いのがいちばんなのです……😘
メソポタミアにおいてと同様に、聖書においても、『自由』とは、なによりもまず負債の影響からの解放を意味するようになった。(「負債論」)
「奴隷は自分が自由であるというやいなや、その瞬間から自由です。そして彼の主人に対して何の補償の責ももってはいません。それどころか奴隷は主人に独立のための資金を要請できます。」ヘーゲル
「人々はお金を変えられないと考えていますが、そうではありません。お金は変えられます。人間がつくったのですから」ミヒャエル・エンデ
今日参考にした本:
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