自分がいなくても世の中回る
櫟社というやしろの神木になっている櫟(くぬぎ)の大木に、匠石は目もくれない。その弟子がたずねると、「舟を造れば沈むし、棺桶をつくれば腐るし、道具をつくればこわれてしまう。・・・全くとりえのない木だ.使いみちがないからあのように長寿が保てたのだよ」と匠石は答えた。
その夜、夢の中に櫟社の大木が現れて告げた。「すべて柤(こぼけ)、梨、橘、柚、さては瓜の類にいたるまで、その実が熟するともぎとられて辱めを受ける、しまいには大枝を折られ小枝はひきちぎられる始末だ。なまじっか役に立つために命を苦しめるものなのだ」(荘子「人間世篇」)
だれにも必要とされない人生だから楽しいのです
JAXAの開発責任者が泣いた――
ロケットの打ち上げが失敗中止したとかで。
まーこのように
「有能で責任ある仕事に付く人」
ってたいへんです🥺
ふつうの人生は「たくさんの荷物を抱える」人生
「たくさんのものを抱えたら幸せなんだ」
というのがふつーの価値観。
- 嫁さん
- 子ども
- 責任ある仕事
- 学歴やキャリア
- 友達
- 家や車(とそのローン)
- 地域活動
たしかにそれらは喜びを与えてくれます。
しかし、副作用もある。
ひとつに「重すぎる」ということ。
「仕事も家庭もすっぽかして明日から旅に出ます🤗」
なんてことはできない。
自分のために生きるというより、家庭や仕事のために生きることになる。
もうひとつに「苦しみの原因になる」ということ。
離婚したらつらい。
子どもが死んだら悲しい。
ロケット打ち上げが中止したら悲しい。
私が責任者なら頭をかかえる😑
でも打ち上げに成功してたら大喜びだったはず。
激しい喜びを与えるものは――激しい苦しみの原因になる。
だから無条件に喜べるもんでもない。
だれにも必要とされない無職生活
私はひとりぽっちで暮らしてます。
恋人も5~6年いません。
友だちもほとんどいません。
仕事はしてません。
収入もあんまりない。
お手々はしわしわ、髪の毛もあんまりない。
- 「俺はセミリタイア界のドンになる!😁」
- 「悩める社畜を救うのだ!😣」
的な勢いでブログをはじめましたが。
べつにテレビに出たり本を出版することはありません。
(その気もなくなったけど)
毎日ぶらぶらしています。
金を稼いだり、稼がなかったり、遊んだり、遊ばなかったり。
日本列島を爆走する徘徊無職
無責任生活――「だれにも必要とされない」からこそ楽しい
ただ、こんな日々がたまらなく楽しい
- だれにも媚びない
- だれにも頼らない
- 孤独に静かに生活
- なんら責任やしがらみを持たず自由に生きる
- 好きな本を読み、自然にしたしみ、あちこち放浪する
ウルトラライトな自由ライフです。
「JAXAの開発責任者」
とはまるで正反対の生活でしょう。
←なんかの雑誌に加藤諦三がこんなこと書いてた。成熟した無職は孤独を楽しむのだ🤗
もちろん私だってひとり旅しながら
「何してるんだろ俺……🥺」
となることがありますよ。
でも、JAXAの開発責任者だって共同通信の記者になじられながら
「何してるんだろ俺……😭」
となったでしょう。
(そもそもロケット打ちあげてなんか意味あるのか?🙄)
私のような生活もひとつの「理想」です。
- 仕事のプレッシャーはない
- 記者会見でごめんなさいする必要もない
- 記者にいじめられて泣くこともない
だれにも求められない。
だから
「やりたいことやるだけ」
の自由生活がある。
奈良県に到達。ここも寂しいところだ……🥺
終わりに 寂しく静かに生きていく
「おまえは馬鹿だ。ちっともわかっとらんじゃないか。わしは、世の中の役に立たんように、わざと努力しているのだ。考えてみろ、世の中の役に立つものは、みんな早く切られてしまう。栗の木でも、すももでも、梨でも、実が熟してくると枝は折られ、ちょん切られてしまう。わしは、わしの無用が大用となって長生きできたんだぞ。おまえはわしを”散木”というが、おまえのほうが”散人”だ」
仏教が理想とするのは「涅槃寂静」。
この寂静って言葉が好きなんですよね。
パーリ語/サンスクリット語では「幸福、快楽、楽しさ」って意味らしいけど
私も寂しく静かに生きていきたい。
社会を離れる。
「必要」や「責任」を離れる。
もしだれかが私に責任をもたせようとしたら……。
といって逃げたいと思います……👻
←この顔、癖になる。ニートスマイル😚