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【社会の敵】ニートと高等遊民の違い

働かないで生きるって幸せなことだな……😊

つねづね思います。

でも、世間的には「ニートはゴミ!死ね!」なんですよね。

実はこういう風潮は100年前からあったのでした。

高等遊民という存在

現代では、仕事をする気のない若者は猫も杓子も「ニート」扱いです。

でも、昔はニートにも「上と下」がありました。

下とは、簡単にいえばルンペンとか浮浪者です。昼間っから酒飲んでたり、ホームレスみたいな人たちです。

上とは、「高等遊民」です。遊民とは英語のidlerに近いでしょう。「高等」とは、「高い教育を受けた人々」のことです。

夏目漱石は高等遊民になりたかった

夏目漱石は高等遊民大好き人間で、高等遊民のモデル的人物を小説で描いています。

それから」の長井代助、「こころ」の先生が高等遊民でした。

たとえば長井代助はこう言ってます。

「パンに関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。パンを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくちや人間の甲斐はない」

なんという「ニート節」……😫

漱石はこんなことも手紙に書いてます。

「小説をやめて高等遊民として存在する工夫色々勘考中に候へども名案もなく苦しがり居候」

小説なんてやめて高等遊民になりたいけどいい方法が見つからない! と嘆いているのです。

それでも彼は神経衰弱になってまで書き続けました。立派ですね🤣 

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29歳の漱石。イケメン……。

高等遊民は、ようするに高学歴ニート

高等遊民は「職が見つからない高学歴」

現代風に定義するとそうなります。

現代の高学歴ニートと同じく、高等遊民にも上と下があった。

親が資産家で働かなくても良い者、就職しなければ生きていけないが、職が見つからない者。

小説の関係で、高等遊民といえば前者のイメージがあるが、当時の定義では後者も高等遊民だった。

20世紀初頭の高等遊民があふれた時代は、「大学は出たけれど」のような就職難時代で、働き口が見つかりにくかった。

その頃は年間2万人の高等遊民が輩出(?)されていたようです🤣

就職難だけでなく、高等教育を受けた人々は、高い教養を身につけている関係上、下卑な仕事はしたくないという考えが邪魔をしていたものと思われる。

阿部次郎の作品「三太郎の日記」にもこんなことが書かれています。

生きるための職業は魂の生活と一致するものを選ぶことを第一とする。しかれざれば全然魂と関係のないことを選んで、職業の量を極小に制限することが賢い方法である。魂を弄び、魂を汚し、魂を売り、魂を堕落させる職業は最も恐ろしい」

ただでさえ就職難であり、「自分の魂の生活と一致する仕事」なんてそうそうない。

この辺は現代の高学歴ニートが働かない理由と似ている部分があります。

社会は高等遊民を恐れた

国家や社会は、高等遊民の増殖を恐れました。

ひとつには高い教育を受けた人間がぶらぶらしてると税金泥棒だからです。もうひとつには、彼らが「危険人物」だからです。

彼らは共産主義や無政府主義といった反体制の思想をいだきやすかった。

もちろん古代ギリシャの哲学者みたいに牧歌的に生きる人もいたが、就職が見つからずに社会への憎悪をつのらせ、「危険思想」に傾倒する人も多かった。

高等遊民に対する社会の反発が強烈になったのは大逆事件(無政府主義者や社会主義者による昭和天皇爆殺未遂事件)だったとされています。

社会的な圧力に加え、第一次大戦の好景気で高等遊民は減っていった。

ニートは必然的に思想がヤバくなる

この点は私もよくわかるのですが、働かずに本ばっか読んでると、ヤバい思想が醸成されていきます。

社会のダメなところが容易に理解できるようになり、自然と反国家・反社会的になっていきます。「労働はクソ」「賃金労働制度は現代の奴隷制度」「国は税金泥棒」なんていうふうに🤣

ニートはいけない! 引きこもりを引っぱり出せ! なんて現代で叫ばれるのは、経済的問題と同じくらい社会秩序維持の側面があるのです。

「無職は犯罪者予備軍」というのはある意味正しいのです。

関連:セミリタイアは(いけない方向に)思想を深める

終わりに 

以上見てきたように、高等遊民というとなにやら優雅な言葉ですが、結局は高学歴ニートのことです。

だから高学歴ニートのみなさんは、「俺は高等遊民だ」と言ってOK😘

ただ、「俺は就職できないダメなヤツなんだ……😪」というへなちょこニートよりは、「現代の労働はクソ」とか、「俺に適職をもたらさない社会はクソ」といった反社会的態度、あるいは「下々の人々とは世界を一緒にしない」「知的世界に生きる」というような脱社会的態度、そういうのが高等遊民っぽいと私は思います。

「社会のせいにするな」とは100万回繰り返されているフレーズですが、結局それは社会システム維持のためのイデオロギーに過ぎません(教養があればそういうことにも気付けるでしょう)。

高等遊民には、ある種の高潔さ、思想の洗練、教養の高さがあるといえるでしょう(あってほしい)。

私は高等遊民というよりはリタイアニートですが、ぶらぶらして読書ばっかの生活は高等遊民と一緒です。こういう生活は他人になんと言われようと、クソ楽しい🤣

みなさんも「いまどきの高等遊民」を目指してはいかがでしょうか。

 

著者:ミクさん - 問い合わせ- 全記事 - 当サイトの著作権はクリエイティブ・コモンズの表示—非営利となります。
ブログ制作日 2019年11月5日 エンジョイリタイアライフ!