人生は簡単だ
私は人生をそれほどハードなものだとは考えていません。
「ライフ・イズ・イージー」だと考えています。
半生を苦しみぬいたわたくし
しかし、若い頃はそうではありませんでした。
私はたぶん人並み以上に苦しんだと思います。
とくに10代は地獄のようでした。私にとって「学校」っていうのが耐えられなかったんですね。中学校と高校は、とにかく泣いていた、苦しんでいた記憶しかない(大学はまだマシでした)。
で、当然のように、20代になると、「労働」に耐えられなくなりました笑
職場って、学校の延長ですからね。決まった時間にこなくちゃいけなくて、決まった仕事をしなくちゃいけなくて、自分を隠しながら同僚とうまくやって、自分よりもバカで無能な上司に媚びへつらって……。
当たり前ですが、労働者階級を「職場」に適応させるための「学校」ですからね。
なんで苦しまなければいけないのか
労働をしている間、私は立ち止まって考えることが多くなりました。
それは
なんで?
ということでした。
なんで? なんで私はこんなクソみたいな生活を送らなきゃいけないのか?と
- 私は苦しむために生まれたのか?
- どうして私だけが苦しむのか?
- こんな人生耐えられるか!
と思い、何が私を苦しめているのかつきとめようと思いました。
こんなことを身近な人に相談しても、当たり障りのない答えしか出てきません。彼らもシステムにどっぷり浸かっている人間ですから。
なので、外国の人や、過去の人、突出した天才など、いろんな人の本を読みました。そこで結論が出ました。
私は恐怖に縛られているのだ、と。
恐怖が私を縛りつけて、したくない生活をさせているのだ、と。
恐怖の正体 2000万円は必要か?
私はニュースを見ないのでよくわからないのですが、
政府が「老後資金2000万円は必要だよー」みたいなことを言って、世の底辺層の大顰蹙を買いました。
- 「そんな大金用意できない!」
- 「どうしてこれだけ年金を収めてるのに貯蓄しないと生活できないんだ!」
ごもっともです。
ここで政府への批判が高まる一方、底辺層たちは「老後の資産形成」に奔走したようです。
2000万円も必要ないだろ
でも、ほんとうのところ、2000万円も必要ないのです。
だって、生活保護があるんだから、食いっぱぐれることはないじゃないですか。
年金だけで食えなくなったら、生活保護を貰えばいい。
どうしてそういう思考に至らないのか私は非常に疑問でした。
この人たちは何を怯えているの?
「でも、受給資格が得られないかもしれない」。たしかに、この国はクソですからそれはありえます。でも、いくらでもやりようがありますよ。
最低限の生活の保障は、憲法で保障されています。そして、役人は面倒事を嫌うものです。バカ正直に懇願するのではなく、狡猾に申請すればよいのです。老人になるまで、狡猾にサバイブする基本的知識を得てこなかったなら、それは自業自得と言うほかありません。
「でも、生活保護の人生なんて嫌だ!」というかもしれません。それは「恥ずかしい」と。私はこれには爆笑ですね。どんだけ傲慢なんだろう。自分を高く見積もりすぎです。
正直言って、資産2000万円も準備できない人間と、生活保護受給者、大して変わらないですよ。
「俺はあいつらと違う!」「俺は一生懸命働いてるんだ!」「自分は底辺ではなく中流だ!」と思いたいのかわかりませんが……。
マクロに世の中を見てください。大企業の退職金は3000万円とか4000万円ですよ。2000万円なんて軽く用意できます。
2000万円にビクつく人は、底辺です。底辺なので生活保護を受ければよいだけです。それで生きていけます。何も恐れる必要ないじゃないですか。
恐怖が私たちを労働に駆り立てる
ここで資産形成に奔走する人は……政府にまんまとハメられているわけです。恐怖の罠にハメられているのです。ようするに政府とマスコミのメッセージは「もっと働け」と「もっと貯蓄しろ」ということです。
「老後の生活が不安だ!」と恐怖にかられて働くひとは、だれかの利益のために労働して人生を終えます。
「いざとなったら生活保護を受ければいいや」とまったり生きる人間は、自分のための人生を楽しむことができます。
自動車、結婚、子ども――まともな生活は無理だけど
生活保護は嫌だ!と人はいいます。
ここにある恐怖とは、実は「ふつうの生活」を脱する恐怖です。
- 親戚たちに後ろ指を指されるのではないか……。
- 近所の人に面目ない……。
- 自尊心が傷つく……。
とかね。
ほんと、しょうもないですよね。だって、年金を払わない国が悪いんだから。他の先進国の人はそんな貯蓄なくても生きて行けてますからね。
ふつうの生き方、
ふつうの人間、
その道を外れることは、もちろんはじめは怖いですよ。
後ろ指を指されることは確実です。世間の冷たい風を受けるでしょう。でも、それだけです。
ご飯を食べられなくなったり、着るものや住むところを失うわけじゃありません。
だから何も恐れることはないのです。実に恐怖こそ恐怖すべきなのです。
政府やマスコミや学校や家族があなたに植え付けた恐怖を、少しずつ取り除くこと。
それ以外に、自由に生きる道はありません。