ビンボーは金持ち 金持ちはビンボー
とシェイクスピアは書いてない。
レス・イズ・モアな貧乏セミリタイア生活
「もうお酒を飲まなくていいんだ」とアレン・カーは言った
「もうお酒を飲めないんだ……🥺」
と考えるとかなしー。
でも
「もうお酒を飲まなくていいんだ🤗」
だとすごい解放感がゲットできる……
とアレン・カーが書いてた。
実際これはそー。
世の中
- 「ほんとうは必要のないもの」
- 「むしろあると良くないもの」
がどれほどあるかわからない。
「ないこと」
で得られるものがあるのです。
「もう働かなくてもいいんだ」と無職は言った
「もう働かなくていいんだ……」
というのがセミリタイア4年目の実感です。
「仕事こそ喜びだ」
という人も多い。
実際、仕事は喜びを与えてくれますが。
ただ、それ以上に害が大きい(お酒同様に)。
時間を失う。
健康を失う。
自由と尊厳を失う。
「もう消費しなくていいんだ」と貧乏人は言った
「もうお金を使わなくていいんだ……」
という喜びもあります。
25万円で買ったバイクは3000kmの九州旅をこなしてくれました。
燃費はリッター40km超え、しかも軽量コンパクトですこぶる快適です。
今年の北海道ツーリングもよゆーでいけちゃうでしょう🥰
しかし九州がこんないいところとは思わなかった😗
「消費しなくていい」
ってすげー気楽なんですよね。
消費しないならお金が減らない。
お金が減らないなら経済的不安がない。
消費しないとたしかに「モノ」や「豊かさ」はないんだけど。
「経済的不安がないこと」はある。
これぞ「レス・イズ・モア」なのです😚
「もう生きなくていいんだ」とブッダは言った
仏教って解脱を目指すわけですが。
なにから解脱すんの?
というと
「輪廻」
なんですよね。
生まれ変わって死んで生まれ変わって死んで生まれ変わって……。
のぐるぐるのくりかえしから抜けだす😵
つまり
「もう生まれないこと」
を目指す。
仏教ジョーク😂
ここで思うじゃないですか。
- 「死んだら別の生命で生きられるの? サイコーじゃん😂」
- 「つぎは鳥さんになって空飛びたい🐤 馬になって駆けたい🐴 イケメンお金持ちに生まれたい🥰」
- 「死んで終わりより生きてられるほーがずっといいよね?🥺」
とか。
なんかブッダの時代もそういう人が主流だったみたい。
「いつまでも生き続けられるのだから、輪廻はいいことじゃないか」と考える人は、お釈迦様の時代にも大勢いました。……「いつまでも生き続けることこそが幸せの条件だ」と考える人は、輪廻を良い事として受け入れ、沢山善業を積んで、良い所に生まれようとします。「生きることは幸せである」と考える人たちです。お釈迦様は、「それはそれでよい、人としては当然の考えだ」と認めておられました。(by佐々木閑 輪廻を信じなければ仏教は成立しない? – ZENzine / 禅人)
ただ仏教ってのは
「生きることは苦しみ(Dukkha)だ」
という教えです。
Dukkhaって「つらいぞー苦しいぞー😫」ってよりは「思い通りにならない、空しい、不満、不安定🥺」って感じのニュアンス。
いまはアクセク働いて、家族や仕事や財産に意味を見出してる人も。
大金持ちで大成功者で大権力者で我が世の春を謳歌した人も。
老いて死ぬときには
「意味のない人生だよ💀」
となるかもしれない。
だからブッダは
「もう苦しみのないこと=もう生きないこと」
を求めた。
ですからお釈迦様は、「私の輪廻生活もこれで終わりだ、二度と生まれ変わらなくてもよいのだ、という確信を持って生きることのできる人こそが究極の安楽を得る」とお説きになり、その言葉を頼って集まってくる人たちを、出家者として受け入れました。それが仏教という宗教の本来の姿なのです。(同)
「もう二度と生きなくていいんだ」
って究極のレスです。
自分の生命さえ執着しない。
生きることを放擲する。
そしてそこに
「究極のモア(安楽)」
がある。
まー仏教ってのはすげーラディカル思想なんですよ。
だからブッダは悟ったあとに「こんなのパンピーにはわかんないよね😥」と伝道したがらなかった(梵天にすげー説得されてしぶしぶした)のだし
「こんなのパンピーにはわかんないよね」
と上座部仏教のひとたちも考えた。
終わりに すべてを手放した先にある豊かさ
世間はとにかくたくさん:
- お金を持つ
- モノを持つ
- 仕事を持つ
- 肩書を持つ
- 家族を持つ
のがうれしーと思ってる。
まあそれがふつうなんですが。
でも、私たちは「モア」によってどれほど「レス(失っている)」のか?
一度考えるべきでしょう。
私はセミリタイアして無職、低収入、低資産、低消費、孤独なレスライフですが。
わりとクソたのしーです😂
あえて
「すべてを失って」
みましょう。
きもちいーですよ……😘