働かない=自由
ド節約生活してる無職です。
豆腐とうどんばっか食ってます。
「お金持ちになるため」
ではありません。
「働かないため」
なのです……😘
セミリタイアで実現する「労働節約的」生活
デザインの背後にある基本的な哲学は、個人の生活をより暮しやすくし、より贅沢にする道具を開発するというものです。(しかし)私の個人的体験からいえば、必ずしもそうではない。そんなものを手に入れても、生活が必然的に向上するわけではないということでした。それらは私たちを身動きできなくしてしまう。私たちを自由にさせず、拘束する。私たちに世話を要求する。あなたがボートを買えば、あなたはそれを自分で管理するか、誰かに金を払って管理してもらうかどちらかです。しかし、どちらにしろボートを管理するのに必要な金は働いて稼がなければなりません。そういうわけで、私はこの社会で真に労働節約的なものは何であろうかと考え始めました。……(デザインコンサルタントのジョナサン・ウォートン 「浪費するアメリカ人」より)
「労働節約型」
っていい言葉ですね。
私は節約生活を送っているのも
「働きたくねーから」
です。
「支出を節約する」
とは
「労働を節約する」
ことなのです😌
セミリタイア生活では労働は最低限になる
労働を減らしたい
ときに2つの方法がある。
- 量的変化:労働時間を短くする
- 質的変化:労働を遊びにする
労働時間を短くするのはかんたん。
- 高時給の仕事を短い時間行う
- 不労所得をゲットする
たとえばUBERで時給4000円で稼働するなら、15時間働けば6万円です。
月6万あれば食って寝れます。
あとは好きなことしたり、ゴロゴロしてりゃーいい。
関連:【ボロ儲け】UBERで「時給4000円」を叩き出しました
「労働を遊びにする」
はすこしむずかしーかも。
社畜労働は
- 「生活のために」
- 「リタイアするために」
イヤイヤ行われるものが大半です。
リタイア後は資産があるしキャリアもないので好きな仕事ができます。
自発的に好きな仕事をするなら、それは苦痛ではなくなる。
私も好き勝手ブログに書いてますが。
労働というより遊びなのです。
こんな感じでリタイア後は労働が減っていきます🤤
節約も労働削減につうじる
「節約はひたすらガマンだ😓」
というイメージがあるが、そーでもない。
「上手にお金をつかうこと」
が近い。
「必要なものを買い、必要のないものを買わない」
というあたりまえのことです。
実はほとんどの人が働いてるのは
「必要のないものを買うため」
なのです。
所得が変わったことは、「私にとって、幸せは内面にあって外にあるのではないということがよく見える契機となりました。私は、実際にはステキな家に住みたいし、素晴らしいモノを持ちたいし、部屋を暖かくしておきたいし、美味しいものを食べたい。しかし、そうしたことは余分なことなのです。」
人生最大の買い物は「家」です。
不動産投資目的で何件も家を見てきたが、機能的には似たようなもん。
150万円の家でも、1500万円の家でも日光や雨風はしのげる。
住むには問題ない。
あとは「見せびらかし」や「余分な機能」のために1000万円を払うかです。
終わりに 働かないことが自由なのです
「労働は自由であるArbeit macht frei」
と強制収容所にかかれていた。
もちろんこれはダブルスピークです。
労働しなければいけない――これが奴隷状態なのです🤮
自由に代わる選択肢はただ一つしかない。即ち自由の否定である。気の向くままに働いても働かなくてもいい自由があるか、さもなければ、国家権力を後楯にした法的強制によって労働する義務を負うか、である。第一の場合、彼は自由な人間である。第二の場合、彼は紛れもなく奴隷である。(「奴隷の国家」ヒレア・ベロック)
- ほとんど働かないでも生きていけること
- 嫌いな仕事を拒否して好きな仕事(=遊び)だけできること
これが自由人。
社畜はアホみたいに働いてちゅーちゅー吸いとられますが😭
「働きまくった先に自由がある」
のではありません。
「労働を絞ること」
で自由になれるのです。
自分たちが暮らしていくために必要な時間を超えて長い時間働くことをやめる。やめさせる。一日の労働時間をたとえ一時間でも短縮するために、そして自分の「自由な時間」を少しでも長く確保するように、自分にできることをする。それが、私たちが奴隷でなくなるための第一歩なのである。(「隠された奴隷制」植村邦彦)
万国の労働者よ!
労働を節約せよ!
ってわけ……🤣
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