「人間が嫌いすぎる」
と久しぶりに電車に乗って思いました。
- シートに足を乗せるおっさん
- 香水が臭いねーちゃん
- 大学生っぽいイケメンにーちゃん(←罪はない)
- 声のでけえクソガキ子ども
- がなり立てる車内放送
- ひとの多すぎる地獄都市トキョ…
イヤすぎます😅
「つくづく社会に向いてねえなあ」
と感じました。
隠者ライフは孤独がデフォルトです
パーソナルスペースが広すぎる
HSPにとって「ヤマアラシの針」はクソ長い
ヤマアラシのジレンマ:
- 遠いと寒い
- 近づくと針が痛い
ほとんどのひとは
「適度な距離」
を保つことができます。
家庭でも職場でも。
ときどき喧嘩して離れることはある😡💥😡
でも、寒くなってくっつきあう――🥶🥶
◆
ただ、私のようなHSPはうまくいかない。
針がすげー長く見える
――っていうか長い。
けっこー離れてても刺さるのです。
他人のイヤなところが……😖
だからもっと離れなければいけない。
ヤマアラシがくっつきあってるあたたかい場所。
「社会」
そのものから離れなければいけない。
人間関係をシャットアウトして引きこもる隠遁無職
リアルで交友関係はほとんどありません。
家族ともほとんど会いません。
ネットの関係もほとんどない。
ツイッターなどSNSもやりません。
ブログはだいたい毎日書いてるけど、ついたコメントは読みません。
読者との交流はありません。
収益がいくらなのかも、口座に振り込まれるまで知りません。
せいぜい好きなYouTuberを見るくらい。
人間関係を断捨離しまくりです。
きづいたらドンキーコング3をクリアしていた🙊
隠遁生活に孤独はつきものです
俗世には職場や家族があり、幸不幸をこえて顔を合わせなければならない「関係」がある。この「関係」こそがよくも悪くも人間を孤独感から避けさせている。遁世者にはこののっぴきならぬ「関係」を捨てた自由の代わりに孤独が訪れる。(「過激な隠遁―高島野十郎評伝」川崎 浹)
2011年、震災がおきたとき。
やたら「きずな」が叫ばれました。
家族のきずな。地域のきずな。国民のきずな――。
絆(きずな):
本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。……人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。(絆 - Wikipedia)
絆(ほだ)される:
人情にひかれて心や行動の自由が束縛される。 身体の自由を束縛される。
「絆」=「関係」は、自由を奪うものです。
私にはそんな「きずな」がない。
マジでない。
それは究極の自由であると同時に、究極の孤独でもある。
結局、自由と孤独はコインの裏表なのです。
終わりに 静謐で過激な無職ライフ
「そんな人生寂しすぎる🥺」
とも感じますが。
まあこんな生き方もアリだと思います。
「山路行くさびしきものとは思わねど つれ人なきぞなほゆたかなり」高島野十郎
「現在では遁世そのものが一種の過激な行為」
と川崎浹ちゃんは書いている。
「ひととの関わりを断って暮らす」
それはおそろしく静かな生活である一方――
激しさも秘めているのです……😘