「貧乏生活」の自由
- 貧乏リタイア生活はほんとうに自由と言えるのか?
- お金がなくてしたいことができないんじゃないか?
と思うかもしれません。
私は月3万円以下で暮らしています。
「そんな生活するくらいなら社畜で月20万円稼いだ方がいいわ🥱」という人も多いでしょう。
実はそれほど不自由感はない
いつも述べていますが、それほど不自由な感覚はないです。
「カネがない=不自由」となるのはなぜか?
まず第一に「お金がなければ働かなければいけない」からでしょう。
- 貧乏暇なし
- 貧すれば鈍する
といいます。
貧乏なほどあくせく働かなきゃいけないし、雑事に追われることになる。時間的余裕、精神的余裕がないから、クソみたいな仕事に忍従することになる。
しかし、私はもう働いてません。バカな金持ちの命令で行い、税金をガバガバとられる屈辱的な労働はしません😎
そして、月3万円生活といっても、ふつうに住める家や、スーパーハイテクな家電や、時速100km出るバイクを所持してます。これが割と豊かなのです。
川で洗濯物を洗う、薪でご飯を炊くような生活ではない。「しょいかご」を背負って一時間歩いてスーパーに行くこともない。家事に追われることもないんですね。
「自由な時間」はたっぷりあるのです。
自分の好きなことに好きなだけ時間をかけることができます。
これが「自分は自由だな~😚」と思う理由です。
「1000万円もあればいいや」と思えます
お金の価値は相対的なものです。
ある人が満足して生きるために生涯で必要なお金は、100億円でも足りないかもしれないし、1億円で十分かもしれない。
私の場合、生きるのにそんなに金は必要ないのです。
月3万円で生活していれば、1000万円は「巨額の資産」です。「333ヶ月分(27年分)の生活費」ですからね🤣
最近はリタイア一年目にして「収入=支出」を実現しつつあり、その27年分の生活費はもはや「余剰資産」です。つまり一生金に困らないだろうってことです。
私は世間的には「貧乏リタイア者」ですけど、それほど自分が貧しいとも感じない(金持ちとも思いませんが)
自分のしたいことができればいい
「夏休みの空き講義室で、静かにコーヒーを飲みながら読書をして、昼は慎ましい食事をし、午後は楽器を演奏する」
前にも書きました↓が、私のリタイアの「原体験」は、大学生のときのこれです。
私はこのルーティンが大好きで「もうこの生活ができるなら、社会的地位も金もいらないじゃん😍」となったのでした。
↑本を読んでればだいたい楽しい😘
で、今は毎日
- 読書をしたり
- 楽器を練習したり
- 散歩をしたり
- 慎ましい食事をしてる
のですが。
控えめに言って最高ですね……🤣
もちろん欲しいものはあるけれど
でも、私は煩悩を捨て去ったお坊さんじゃありません🤣
やっぱりお金が欲しいと思うことがあります。
- 新しいパソコンが欲しい
- 新しいバイクが欲しい
- 海外旅行がしたい
- ダイビングやスカイダイビングがしてみたい
でも、お金がないからこそ、お金を稼ぐために頭を働かせます。あれこれ戦略を練ってお金を儲けようとします。
それもひとつの楽しみなんですよね。パズルを解くような感じで。
「高級車が欲しい」とかじゃありません。↑の願望をぜんぶまとめても、せいぜい100~200万円あれば実現します。
それくらい稼ぐのは、簡単ではないでしょうが、「めちゃくちゃ難しい」というわけでもないでしょう。
まあ稼げなければそれでいいのです。お金稼ぎも執着すると不自由になりますからね……。
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終わりに 世間的には「変人」ですが……
「多くの人から風変わりだと思われても、幸福な人は驚かないだろう。なぜなら人々は外的なものによって判断しているのだが、かれらにはその外的なものだけが知覚されるため、それでそう判断しているに過ぎないからである」
これはアナクサゴラスという人の言葉です。
彼はそこそこの資産家だったんですが「財産あると知識の探求に邪魔なんだわ😟」と全部捨てちゃった人です。
世の中そんな人もいるんですね。
幸せの形はひとそれぞれです。
あなたは人生で何を望むのか?
- 高級車を乗り回して豪邸に住みたい
- 成功者として世間の人から羨ましがられたい
- 多くの人を従える偉い人になりたい
それならお金はウン億円・ウン十億円なきゃだめです。
でも、質素な生活に喜びを見いだせるなら……
お金は少しだけで「自由な生活」が送れるかもしれません😘