両手はからっぽがいい
「何もない」自由と気楽さ
5時に小樽に到着しました。
そのままバイクで登山口へ。
羊蹄山に登りました。
倶知安(くっちゃん)から見た羊蹄山。か、かっけぇ……😍
5時に上陸、6時半に登山開始、9時に山頂へ。
「上陸して4時間で山頂」
AVのタイトルみたいなスピード感。
なにかを得るとはなにかを失うこと
- 養うべき家族がいる
- 世間に評価される責任ある仕事がある
- 部下や社員が何人もいる
これが「良い人生」とされます。
しかし、こんな生活は窮屈です。
家族がいたら/仕事があったら
- 「明日北海道でもいくか~」
- 「フェリー降りたら山登るか~」
ってのは無理。
だれもが「勝ち組」と認めてくれるが……。
実は不自由。
無数の縄でつながれている。
「絆」
のもともとの意味は、馬などの動物をつないでおく綱だった。
家族がいない、仕事もないから自由
- 仕事がありません
- 恋人がいません
- 友達が(少ししか)いません
無職で孤独なおっさんです。
まさに「負け組」。
でも楽しく生きています。
今日は野宿してだらだらすごします。
「旅が終わったらロンドンへ行こうかな?」
とか思ってます。
私が結婚や仕事がイヤなのは「自由がなくなるから」。
登山するにも、バイクで移動するにも
「軽い」
方がいい。
あれもこれも背負っていたら、のろのろとしか歩けなくなる。
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「仏道ってのは世間とぜんぶ逆なんよ🥺」
と道元はいった。
仏道では「獲得」より「手放す」ことが大事。
Let goなのです。
- 世間の勝ち組が、仏道では負け組
- 世間の負け組が、仏道では勝ち組
ってわけ。
素人にはおすすめできない生活
- 「でも世間では無職独身は最悪の存在だよ」
- 「自殺者・メンヘラ・ジョーカー候補だよ🤔」
というのは事実です。
「自由の生活」
は万人向けではありません。
なぜ?
人は自由を求めるはずでしょ?
というとそーでもない。
- 無職だから不幸な人
- 独身だから不幸な人
なんていくらでもいる。
結局、彼らは「繋がれたがっている」。
- 首輪をつけられて引っ張られること
- ご主人さまにアメとムチをもらうこと
が好きなのです。
自由をむしろ恐れるのです。
世間のたいはんはそんなもん。
釣り上げられた魚は猛烈に抵抗する。轡を嵌められるとき、馬は大暴れする。動物でさえ自由を求めるのだから、自由への希求は人間にとっての「自然」であるとボエシは言います。だが「習慣」の力は「自然」より大きい。轡に慣れれば馬も自らそれを欲するようになります。奴隷的服従になれてしまえば、それすらも人間にとっては快となってしまう。(「怠ける権利!」小谷敏)
終わりに 両手はからっぽがいいのです
君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。
「異邦人」のこのセリフが大好きです。
- 社畜は自信満々の様子だ。
- 私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし……
さて、今日は雨天野宿ですのでさようなら。
アデュー😘
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