喪ってわかる大切さ、なかった
走り回るわ、叫ぶわ、飯は食わんわ、預けたら他の子と喧嘩するわで、すごかった
それで、ある日どうやってか家を抜け出して、交通事故で死んだ
メチャクチャ楽になってしまった
そりゃ最初は悲しかったんだけど、1年経って、冷静に考えてみて、子の死がプラスかマイナスかっていうと、正直ややプラスな気がしてならない
楽になったんだホントに
ファンキーな増田を見つけました。
「子どもは負債」になる理由
- 家族はすばらしい
- 労働はすばらしい
ってのが主流の価値観です。
「家庭生活がより重視される」については,「良いことだ」という人は78%,「気にしない」という人が18%,そして「悪いことだ」という人は3%と少ない。「技術開発がより重視される」についても「良いことだ」が63%と多い。
一方,「働くことがあまり大切でなくなる」と「権威や権力がより重視される」については,「悪いことだ」という人がそれぞれ 81%と73%と,かなり多い。(NHK世論調査部「社会への関心が低い人々の特徴」 2011年の統計、PDF)
この統計でおもしろいのは
- 労働を重視する
- 家庭を重視する
これがまさに「権威主義」ってことです。
神聖化される「家族主義」
事務次官がニート息子を殺しました。
なぜだか
- 息子が犯罪者
- 事務次官の父が被害者
のよーに受容された。
ニートが親に迷惑をかけることは
「殺人より重い罪」
なのです。
◆
「家族主義」
は自己犠牲の倫理です。
第一教義:「家族は愛さなければならない」
なぜか?
「家族だから」。
第二教義:「愛する家族のために自分を犠牲にしなければいけない」
したがって
- 父親は子どものために働き
- 母親は子どものために家庭に閉じ込められる
- (子どもは親の言うことを聞き、自立して親孝行する)
のが良いとされる。
なぜこんな倫理が生まれたか?
「個人が好き勝手に利益追求していいんよ」
という建前が近代国家にはあります。
しかし、みんなが
- 「働くのやーめた😘」
- 「子育てなんてめんどーい🤗」
となったら社会が終わります🤣
だから、労働と家族は
「信仰」
になった。
神が死んだ時代の神です。
それを放棄する人間は
「異端者」
となる。
最低な親(ブコメ)
人の命が、それも自分の子供が亡くなって嬉しいと思える外道がこの世にいるんだ、と衝撃を受けた。(ブコメ)
すがすがしいカスでワロタ
お前らの遺伝子がカスなせいで不幸な人生を送る羽目になったお前らの子供がかわいそうだね(anond:20220327121753)
(この増田は賛同する反応も多かった、時代の流れでしょーか)
子育ては家庭に押しつけられている
さいきん某大物YouTuberの動画を見てます。
彼は私の学生時代の友人によく似てる。
おバカで、女好きで、他人を笑わせることが好き。
彼は社会的には「不要な存在」です。
ニートです。
妹に「おい、引きこもり!」とバカにされてます。
- 彼が恋人だったら?
- 彼が上司/部下だったら?
- 彼が父親/息子だったら?
最悪です🤣
でも、たとえば十数人で共同生活していたら。
彼みたいな人間はいていい。
むしろ「必要」です。
だから彼は引退したいまも大人気👽
増田夫婦の子どもはADHDだった
「走り回るわ、叫ぶわ、飯は食わんわ、預けたら他の子と喧嘩するわ」
と大暴れです。
それをふたりの人間が面倒みなきゃいけない。
そらーたいへんです。
愛情というか、愛着は当然なくはなかったけど、クソガキが!死に晒せ!と思うことのほうが多かった
実際死に晒した
喪ってわかる大切さ、なかった
ああ楽になったな……という気持ちがマジで強い
私も自分の子どもがADHDだったら
「死ねばいいのに」
と思うかも。
子育ては社会でシェアすべきです
しかしクソガキの面倒も
「週に一日」
とかなら許容できるでしょう。
「なんやこいつおもろー😚」
と、ふつーのガキンチョより楽しいかもしれない。
ADHDの子育てなんてあきらかに大変です。
夫婦ふたりに押しつけるのではなく
「社会でめんどう見りゃいいんじゃねーの」
と思います。
知的障害者の保護者の会へ行ったら「この子がいなかったら私の人生はどれだけ幸せだったか!」と言って泣いている母親がいた。(ブコメ)
同僚もバリキャリだったのに重度障碍児を産んじゃって送り迎えが必要だからパートに契約変更の後に退職しちゃった
認知症を家庭で介護するのが無理なように、障碍児もまとめて施設に入れちゃえばいいのに(anond:20220327100332)
「いや、ヨソのガキなんて面倒見てらんねーよ!😤」
……というのがまさに「家族主義」です。
「家族だから自分の子どもを愛する」とは
「他人の子どもを家族じゃないから愛さない」
と同じ。
狩猟採集社会では子どもの面倒は集団全体でやります。
農村社会でも村落共同体です。
「子どもはみんなで助けあって面倒見る」
それが自然であり、近代の
「夫婦に子育てを押しつける」
ってモデルはそーとー無理がある。
じっさい、北欧や英米では脱家族主義が進んでるっぽい。
「子育ては社会全体ですべき」
となっている。
日本、イタリア、ドイツはまだ家族主義が強いとされる。
終わりに この社会は子育てに向いていない
「子育てがめんどいならさっさと施設に入れちゃえば?」
親はイヤなことして最悪だし、イヤイヤ育てられる子どもも最悪です。
って書いたら
「育児放棄を推奨している!👊😡」
と怒られました。
しかし、夫婦ふたりが子どもを施設に預けることが育児放棄なら。
それは
「社会によるネグレクト」
でしょう。
「子どもを育てる」
という重労働を、夫婦にぜんぶ負わせる。
- 「親は子どもを愛さなければいけない」
- 「子どものために自分を犠牲にしなきゃいけない」
というクソめんどいドグマで縛りつける。
そんな社会で
「よ〜し、いっちょ結婚して子どもでもつくるか!」
となるか?
私はならないですね……🤣
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