「私の古いガウンを手放したことの後悔」
というディドロのエッセーがあります。
ディドロの後悔は、美しい緋色のガウンの贈り物によって引き起こされた。彼はその新たに手に入れたモノを喜び、すぐに古いガウンを捨ててしまった。しかしまもなく、そのガウンを着た自分の環境がガウンの優雅さをぴったりと反映していないような気がしはじめ、彼の喜びは苦しみに変わった。彼は自分の書斎や、擦り切れたタペストリー、机、椅子に不満を感じるようになり、部屋の書棚にさえも満足できなくなった。書斎にある、慣れ親しんだものではあるが使い古した家具や備品が、一つまた一つと入れ替えられた。最後には彼は、新しい環境で流行の堅苦しさの中に居心地悪く座っている自分に気づき、「他のすべてのものをその独自の優雅なスタイルに従って調和させる、尊大な緋色のガウン」の及ぼす力を後悔した。(「浪費するアメリカ人」ジュリエット・B.ショア)
←まさかこのガウンか?
一点豪華主義は破滅への道
- 新しい家を買ったら、新しい家具が欲しくなる
- 新しいジャケットを買えば、新しいズボンが欲しくなる
- 最新のiPhoneを買えば、MacbookやiPadも新品が欲しくなる
ひとつ「良いもの」を買うと……。
それが私たちをコントロールする。
- まだ使えるものを捨てたくなる
- 必要のないものを買いたくなる
というわけ🤔
「ちょっとの贅沢」から家計が壊れます
- 70万円の新しいバイクがほしい
- 4万円の新しい寝袋がほしい
さいきんお金が増えたのであれこれ考え無職です。
でも、買いません。
- バイクを買えば、新しいヘルメットやウェアも欲しくなる
- 寝袋を買えば、新しいスリーピングマットやテントも欲しくなる
バイクが好きだから、登山が好きだから、それだけはいいものが欲しい――
これは成り立たないのです。
ディドロほど賢い人間でも
「一着のガウン」
で快適な生活を壊してしまった。
La nature n'a fait ni serviteur ni maître;
Je ne veux ni donner ni recevoir de lois.
Et ses mains ourdiraient les entrailles du prêtre,
Au défaut d'un cordon pour étrangler les rois.
(ディドロっていやーこの過激な詩😂)
簡素なもので揃えるのです
ボロいものに囲まれて暮らしています
- 3万円・5万円のバイク
- 1万円のスマホ・3万円のパソコン
- 150万円の家・無料でゲットした家具
- メルカリで300円の服・ダイソーの下着
- 2500円のバックパック、トレランシューズ
使い古しのボロばっかりです。
しかし、いずれもローコストです。
新品なら10倍以上。
結局「それで十分」です。
- ボロバイクでも北海道までいける(たぶん)
- 150万円の家でも雨風しのげる
- 1万円のスマホでも10万円のスマホでも見るコンテンツは一緒
- ボロいトレランシューズでも20km走れる
逆にいえば
- 「ピカピカの新車バイクを持っていても、仕事が忙しくてホコリかぶってる」
- 「ブランド物の衣類をもっているが、ぶよぶよのビール腹」
- 「超ハイテク登山グッズを持っているが、10km歩けばへばる」
そんなクソダサ連中は山ほどいます。
そーいう人間よりはマシです。
終わりに 節約に例外なし
ケツの穴を締めるのです
ひとつでも「決壊」させると、その他まで崩壊する。
「となりの億万長者」
という本では、金持ちはボロい車を何年も乗り、スーパーの値下げ品を買うとか。
一点豪華主義は破滅のもと。
節約に例外はないのです。
◆
ディドロ効果は「消費主義への批判」に使われることもあるが……。
同時に
「マーケティング用語」
でもある。
「客の金を奪う」良い方法なのです。
ディドロのようになるのは「不幸」だが、企業にはハッピー。
企業はあなたをマインドコントロールして、思考を麻痺させ、金を奪おうとします。
「合法的収奪」
をしかけてきます。
さいきんはロシアvsウクライナの戦争が起きていますが。
「平和な日常」でも、実は消費者と企業で戦争しているのです。
あなたの資源(富)をかけた戦いです。
ほとんどの人は自分が戦場にいることも知らないので、ガンガン侵攻されて奴隷化されます。
自分を守れるかは、あなたの自覚にかかっている。
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」
というわけです……😘
関連:【投資vs消費】セミリタイア後の「お金の賢い使い方」とは
関連:【後期資本主義】モノではなく「消費者」が生産されています
関連:【消費はクソ】「お金を使わない生活」ほど楽しいです