30歳1000万円でリタイア

150万円の家でひっそり隠棲 1000万円で生き残る

COVID-19感染疑いで「死」を考える無職

いつ死んでもいいです。

一週間前に「COVID-19じゃなくて副鼻腔炎だった!」という記事を書きました。

ところが、いまもふらつきや息苦しさ、肺やノドの痛みが続いています。

「やっぱりCOVID-19感染してるのかな?💀」と思いました。

感染している場合、発症1週間後に転機を迎えるケースが多い。現在、症状は少しですが重くなっており、明日にでも呼吸困難で死亡のパターンが考えられます。

大げさかもしれませんが、

「メメント・モリ(死を想え)」

というわけで、死ぬことを考えてみようと思います。

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私の人生は良い人生だった

私の人生は良いものだったと思います。

私はかなりの神経過敏で社会不適合者でした。そのため、社会に溶けこむことができずにつらい思いをしました。

しかしそのぶん強くなれたという自信がありますし、他者の愛情や「救い」を鮮烈に感じることがありました。

生の苦しみを味わった分、濃密に生きることができたと考えています。

死に準備されている

以前から「私は早くに死ぬのではないか」という感覚はつねにありました。それは、私は「死に準備されている」という感覚があるからです。

私は幼い頃から、他者よりも精神的に成熟しているという感覚がありました。28歳頃には自分は老人のような価値観を持っている、と考えるようになりました。実際、いまはリタイア生活者で隠居老人みたいになってます😅

31歳のいまは、世界に対する全般的な理解をある程度得ることができ、もはやたいていのことは目新しいと感じることがなくなりました。

20代のときは世界に対する「絶望」や「反発」が強かったが、最近では「あきらめ」に近くなっており、現世に対する執着は薄れています。

「死に準備されている」とはそういうことです。死ぬとしてもたいして後悔がないのです。仏教者であれば「解脱」の機会といえるかもしれません。

この人生は何度でもしたい

私は無宗教者です。死後の世界は信じてません。一方で、死後の世界が「ない」とも信じない。

漠然と魂は残ると考えていますし、超越的な「生きる意味」はあると考えています。だから死ぬことの恐怖はあまりない。

ニーチェの「永劫回帰」がよくわかります。私は自分の人生を永遠に繰り返してもいいと思ってます。

私はしっかり生きました。力強く、自分の足で、立派な人間として生きた。だから後悔はありません。

明日死ぬとしても、今日は死ぬにはいい日だ! と死ぬことができるでしょう😚

終わりに

ちょっとシリアスすぎますね笑

まー、死ぬ可能性が少しでもある以上は書きたいことを書いておこうかな、と。更新が止まったらそういうことだと思ってください(大げさか?🤣)。

「死」を考えたときに、それほど恐れがないことに驚きました。「私の人生は良いものだった」「十分に生きた」と思えます。

会社員だったら違ってたでしょうね。でも、私は自分の意志でリタイアして好き勝手に生きることができましたから。

自分の人生を振り返ると「よくがんばったなあ」と思います。他人から見れば、失敗者だったり、孤独だったり、バカに見えるかもしれませんが。

私は自分の人生を愛してますし、自分が自分の人生を歩めたことを最高に幸せなことだと思ってます😆

まあたぶんただの風邪でしょうね

まあたぶんただの風邪だし、COVID-19でも死ぬことはないでしょうけどね笑

でも、たとえパンデミックがなくても。

すべての人間は

  • 「いつか必ず死ぬ」
  • 「いつどうやって死ぬかわからない」
  • 「自分の死は自分で受け止めるしかない」

状況に置かれています。

死を考えることで、生きることの意味も生まれます。COVID-19のおかげで自分の人生を振り返るきっかけになりました。

ある意味「サンキュー、コロナ!」です🤣

著者:ミクさん - 問い合わせ- 全記事 - 当サイトの著作権はクリエイティブ・コモンズの表示—非営利となります。
ブログ制作日 2019年11月5日 エンジョイリタイアライフ!