わたくしは何ぴとのやとい人でもない。
みずから得たものによって
全世界を歩む。他人にやとわれる必要はない。(スッタニパータ、中村元訳)
リタイア者は「出家者」みたいなもんです。
- 社畜
- リタイア者
これは
- 俗世間
- 出世間
の関係といえる。
リタイア者=ブッダ 社畜=牛飼いのダニヤ
牛飼いダニヤが言った、
「私はもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、私は(妻子と)共に住んでいます。わが小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」師は答えた、
「私は怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿りをなす。わが小舎(すなわち自身)はあばかれ、(欲情の)火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
「雨」は災難の象徴です。
ダニヤは物質的な城壁を築いて、災難から身を守れるとする。
ブッダは欲望や執着をなくしたから、自分は安全だと考える。
リタイア資金は「筏」
牛飼いダニヤが言った、
「蚊も虻もいないし、牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み、雨が降ってきても、彼等は堪え忍ぶであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」師は答えた、
「わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
この「いかだ」はいろいろな解釈ができますが(一般的には「教義」)、「リタイア者の資産」も似ています。
私がリタイアするには1000万円が必要でした。
でも、リタイア後はそんなにお金は必要ではなくなる。
だから雨が降って1000万円がどっかに流れても、まあやっていける。
リタイアするとほんとお金に執着しなくなります😘
他人に雇われる必要はない
「私は自活し自ら養うものである。わが子らはみな共に住んで健やかである。彼等にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
「私は何人の傭い人でもない。自ら得たものによって全世界を歩む。他人に傭われる必要はない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
ダニヤは自営業者ですが、ブッダは托鉢で暮らしました。
自営業者は奴隷でも社畜でもありません。
でも、モノを売ってお金を得ます。
それは「交換」です。
托鉢は、完全な一方通行です。
施しをもらった側は、お礼すらしません。
「施し」は「交換」ではないからです。
ブッダがいうのは
「対価をもとめて労働するのはクソ」
ということです。
対価を求めるとき、それは自営業であっても、他人の雇われ人になることを意味する。
自由を損なうのです。
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「何もない」から安全なのです
牛飼いダニヤが言った、
「未だ馴らされていない牛もいるし、乳を飲む仔牛もいる。孕んだ牝牛もいるし、交尾を欲する牝牛もいる。牝牛どもの主である牡牛もいる。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」「未だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲む仔牛もいない。孕んだ牝牛もいないし、交尾を欲する牝牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
「牛」は財産の象徴です。
それ自体が財産だし、働かせれば富を生産する。
現代風にいうなら、お金であり、株であり、「人材」 です。
- 「うちは大企業でいろんな社員や商材を抱えておる😤」
- 「私のポートフォリオは仮想通貨や不動産や株、いろいろあるぞ」
だから「安心なんだ🤗」と考える。
これが社畜マインドです。
ブッダは
「オレはニートだし株ももってない、だからどんとこい」
というマインドです。
無敵の人ですね……🤣
縛りつける安心と縛りつけられない安心
牛飼いダニヤが言った、
「牛を繋ぐ杭は、しっかり打ち込まれていて揺るがない。ムンジャ草でつくった新しい縄はよくなわれている。仔牛もこれを断つことができないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」師は答えた、
「牡牛のように結縛を断ち、臭い匂いのする蔓草を象のように踏みにじり、私はもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
お金、株、「社員」……これらを
「よくしつけているから安心だ」
というのが社畜です。
「オレの完璧なポートフォリオならどんな不況でも耐えられる! かかってこい!」というワケ🤣
ブッダはむしろ、なにからも自由です。
輪廻転生からも自由。
もう悟ってますからね。
死んだらGoTo涅槃です。
どんとこい雨☔
終わりに 社畜の幸せ、リタイア者の幸せ
悪魔パービマンが言った、
「子のある者は子について喜び、また牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執著(しゅうじゃく)する元のものは喜びである。執著する元のない人は、実に喜ぶことがない。」師は答えた、
子のある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著する元のもののない人は、憂うることがない。」
- ひとりぼっちで暮らす
- 働かない
- ビンボー
私はそんな生活してます。
- 「そんな生活がしあわせなわけない!」
- 「ムリをするな!ウソをつくな!」
という勢力がよくあらわれます。
しかし、幸福にも「俗世間」と「出世間」のかたちがあるのです。
私も俗世間の喜びをそれなりに知ってます。
働いたし、金を稼いだし、恋愛もちょっとした。
でも、いまの生活がずっといいと感じます。
ビンボーリタイアには
「執着のない生活」
がある。
執着がないところに、ほんとーの安心があります。
もしそんな生活に興味があるなら……
「出家」
して無職になってもいいかもしれません🤣
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