無職の休日
1万円で買ったスクーターをかっとばす。
スーパーのイートインで優雅な朝食。
ここがぼくの指定席……✌😘
無料の足湯へ。
雨で冷えた足にお湯がしみる。
図書館で本を読む。
帰りがけに、200円の共同温泉に入ってきた。
今日はストロングなチューハイを飲んで寝るつもりだ。
HavingよりもBeingな無職生活
「ゴミみたいな生活だな」
「ド貧困乙」
と思うかもしれません。
これがなかなかハッピーなのです……😘
HavingとBeing
- 社畜ワールド=Havingの追求
- 無職ワールド=Beingの追求
といえるかもしれません。
社畜ワールド(資本主義社会)は富や肩書を追求します。
- 投資で爆益を出す
- 豪邸や高級車をゲットする
- お金持ちクラブの仲間入りする
- エリートな仕事につく
そーすっと「良い人間」とみなされます。
でも、無職ワールドはHavingよりBeingを追求します。
自分がどんな存在であるべきか、ありたいかと考えます。
私はさいきん読書にハマってます。
おバカより賢い人になりたいからです。
無職生活は時間と自由がたっぷりあります。
「なりたい自分になれる」のです……😘
人はけっこー「Being」を求めている
「記憶喪失のふりして、パンツ一丁で山道に出没したい」
と思うことがあります。
たぶん、私は見知らぬ人に
- 服を着せられて
- 食料を与えられて
- なんとか住所を聞きだして
- 家まで届けられる
んじゃないかと思います。
(通報→留置所コースもありそうですが🤣)
人々は何ももっていない私を助けるでしょう。
洋服や、食料や、ガソリン代は無償でしょう。
なぜ「何も持っていない」私を助けるのか?
「人を助けるのは気持ちがいい」
からです。
なにかを与えるとHavingを失います。
その一方でBeingを得ます。
- 「自分はいいことしたなあ」
- 「自分は立派な人間だなあ🤗」
という気分になれます。
Beingは資本主義社会では「価値のないもの」「存在しないもの」とみなされてます。
それを求めるのは古典経済学的には「異常行動」です。
でも、人はみなBeingを求めているんじゃないかと思います。
この動画を見るとほんと思います😍
金持ちほどBeingに貧しいのかも
基本的にHavingとBeingは反比例します。
お金持ちがお金持ちなのは、富を独り占めしているからです。
「生きていくだけのお金があればいい、あとは困ってる人にあげちゃおう」
となったら、彼は金持ちではなくなるのです。
悲しいのは、Havingは腐るほどありながら、Beingのない人たちです。
こういう人は貧しいBeingを埋め合わせるために、Havingを追求します。
どれほど富を得ても、空虚感にさいなまれる。
私はそーいう金持ちをわりとみてきました。
とても「豊か」とはいえません。
「倫理的無職」という考え方
「無職なんてろくな存在じゃねえ」
と思われがちです。
でも、無職にも存在意義はある。
少なくとも無職は、金儲けのためにウソをついたり、自然を破壊したり、他人に迷惑をかけることはしません。
だいたい世の中の仕事の半分は「ブルシット・ジョブ」です。
働かない方が合理的でエコなのです。
◆
ネコちゃんは無職です😹
毎日ぐーたらハッピーに暮らしてます。
それだけで人間もハッピーにしてます。
傷ついた心を癒やし、場合によっては「命を救う」こともある。
無職でいることは気持ちがいいです。
毎日ハッピーな人間は、それだけで周囲の人間をハッピーにします。
一方、「オリンピック推進をがんばる人」はどーでしょうか?
彼らにできるのは、ひとの命を奪い、ひとの心を踏みにじることです。
それが「働きもの」とされます。
◆
不幸な人は、どれほどがんばっても、周囲の人をハッピーにはできません。
本人がよいことをしてると思っても、害悪をまきちらすだけ。
幸福な人間だけがほかの人間をハッピーにできます。
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Beingを追求するなら、お金はそんなにいらない
Havingの追求は終わりがないです。
ベンツを買ったつぎにはランボルギーニが欲しくなります。
満足したとおもったら、すぐに不満が生まれる。
「もっともっと」です。
Beingの追求は、そんなにモノもカネも称賛もいらない。
「自分が好きな自分になる」
ってだけですから。
「自分」は、たいていの人にとって「ちっぽけな人間」です。
20代なら夢も見ますが、30代にもなればだいたいわかります。
自分なんてたいした存在じゃない。
神様になる必要も、天才学者やスーパースターになる必要もない。
必要なのは「ちょうどよい」こと。
「自分そのものになること」なのです。
もっともすばらしい生活とは、わたしが思うに、ありふれた、人間的なかたちに、ぴったり合ったもの、秩序はあるけれど、奇蹟とか、逸脱や過剰はないようなものである。(「エセー」モンテーニュ)
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終わりに HavingとBeingどっちがいいか?
「Havingはもういい。Beingを充実させよう」
これがリタイアマインドの真髄かもしれません。
私がリタイアしてビビったのは、
「月3万円生活のほうがたのしい」
という事実です。
むしろHavingを捨てるほどBeingが充実します。
結局、Havingを追求してもハッピーにはなれません。
- 「自分のしたい生活をする」
- 「自分のなりたいものになる」
このBeingでしか、人は幸せになれないと思いますね……😘
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