そのへんの小学生より遊んでる33歳無職男性
マジで毎日遊んでます。
「こんな生活していいんかな😂」
となります。
遊び人は世界を知るのです
「自然に働きかけてこれを変化させ、生産手段や生活手段をつくりだす人間の活動」
が「労働」の定義とされる。
私たちは40年間9時から5時まで生産手段をつくりだしているのです。
ところがリタイアすると
「生活手段」
はそろっている。
- お金がある
- 住むところもある
- 不労所得もある(私はないけど)
こーなると生産活動はそんなにしなくなる。
必要ないからです。
私たちは生産マシンとして育てられる
- 「働かせる人」=エリート、支配者
- 「働かされる人」=労働者、被支配者
で社会はできている。
- 政治家がいて納税者がいる
- 経営者がいて労働者がいる
- 宗教家がいて信者がいる
ほとんどのひとは「働かされる」ための教育を受ける。
- 従順であること(命令をしっかり聞くこと)
- 逸脱しないこと(まわりと合わせること)
そしてもちろん
「能率的であること」――つまり生産性が高いことが求められます。
働くことは生産行為だからです。
したがって「働かされる人」はすべてが生産性によって図られる。
- 高い偏差値
- 高い年収
なら「生産性が高い」とされる。
エクソダスとしての遊び
一方「遊び」は生産性と関係ない。
- 自分が楽しそうなことをする
- 自分が満足できたらそれでおしまい
ニートやリタイア者のような遊び人は生産性の価値観から逸脱します。
- 働くことがない
- 他人を働かせることもない
- 失業者や子どものように「労働者の準備段階」というわけでもない
生産性ゼロです😂
こーいう人間を表現する言葉はたくさんある。
(もちろん良い意味ではない)
これはそもそも社会が「生産の場」だからでしょう。
逆にいえば、人は
- 遊ぶ
- 働くことをやめる
ことによって社会を脱出することになる。
今日は沢登りしてきました😘
遊び人は世界の広さを知る
生産性に縛られた
「社会」
の外には世界が広がっている。
多くの人間がエリートになりたがります。
しかしそれは「狭い世界」にすぎない。
愚か者の楽園に住んでいる人々の幸福を羨ましがってはならない。それを幸福だと考えるのは、愚か者だけであるから。
生産性を離れたところに「広い世界」があるのです。
終わりに遊び人から賢者になるのです
古代の宗教家も、哲学者も、働かなかった。
また、働かせることも(あまり)なかった。
非生産的な活動を楽しんだ。
「小さな世界」
で快適に暮らすのもいいですが。
ニートになって
「広い世界」
に出てみるのも。
とってもおすすめですよ……😘