貧困に「しがみつく」人たち
ガルブレイスの「大衆的貧困の本質」を読みました。
もともと
「貧しい国に支援してもうまくいかないのはなぜか?」
を書いた本ですが。
- 「ビンボー人はなぜビンボーなままなのか」
- 「社畜はなぜ社畜のままなのか」
ヒントとなる記述もあった。
社畜の最大の敵「コンフォーミズム」
動機づけは成功の関数である。富んだ国における向上の機会とそれがもたらす動機づけの存在をみて、貧しい国でも同じ事態が存在すると考えこまれてしまったのである。
しかし、これは悲しむべき誤算であった。
ゆたかな国の人々は
「もっともっとお金持ちになりたい!」
と動機づけされます。
そして所得が増えて、実際に豊かになっていく。
そして国ぜんたいがゆたかになります。
しかし、貧しい国ではそうはならない。
ゆたかな国の経済政策は、貧しい国にはあてはまらないのです……🥺
ビンボー人はリスクを恐れる
富裕な西欧諸国の農民にとっては、不作は所得の減少を意味し、これは好ましくないことではあるが、そのために身体をすりへらすということはまれであるし、人命にかかわる結果をきたすことは決してない。……しかしながら、生存のための最低水準の生活をしているような一家にとっては、不作は飢餓を、場合によっては、死を意味する。そのように考えると、危険を気軽に考えるわけにはいかなくなる。極度に貧しい人びとのあいだでは、経済学者が危険回避と呼んでいる態度が顕著だが、それも、十分合理的な理由があってのことである。
ビンボー人に投資はむずかしい。
年収200万円で貯金100万円のひとが100万円投資するとどーなるか。
下手すりゃ生活が崩壊します🤣
「リスクをとれ!」
とかビジネス書でいってるのは元から金持ちの連中です。
ビンボー人はなかなかリスクをとれない。
それは臆病でもバカでもなく、単に合理的な判断なだけです。
ビンボー人は投資ができない
貧しい国では、所得の増加は、すべて消費の圧力をまともに受けるが、この消費圧力は、言うまでもなく、貧しい状況下ではきわめて切迫したものになる。その結果、貯蓄と投資は最低水準に抑えられるが、一方、前に触れたように、改良技術は、通常、投資を必要とするのだ。
ビンボー人は収入が少ない。
そのため
「生存に必要な消費」
が相対的に大きくなる。
したがって貯金も投資もできない。
関連:【年収200万円】「低所得者」のセミリタイアが想像以上にむずかしいです
ビンボー人は貧困に順応してしまう
上記のような理由はあるが、ガルブレイスがいちばん強調してるのはここです。
貧困に長くいるとそれに慣れてしまう(というか、慣れるしかない)。
何世紀ものあいだ、農村の比較的孤立した状態のまま貧困の中で暮らしてきた人びとは、こうした生き方と妥協するようになった。そうでなかったら、それは、驚くべきことであろう。何世代、何世紀にもわたって、自分たちを傷めつづける仕組になっている事態にたいし、人びとは逆らうようなことはしない。彼らはむしろ、それを受け容れてしまう。
貧しい農民は、貧しさと「折り合いをつけてしまう」。
しかも、この受け容れの態度は、性格の弱さの兆候ではない。むしろそれは、きわめて合理的な反応なのだ。彼らがその中に巻き込まれている貧困の均衡の恐ろしいほどの支配力を所与とするならば、順応は最適の解決策である。貧困は残酷なものだ。しかし、絶えずそれから逃れようとしながら、絶えずその闘いが挫折することは、もっと残酷である。
クソな状況から逃げだそうとする試みが、失敗の連続だとすれば……。
それはもっとクソな状況です。
ひとは次第に、逃げようとすることをやめてしまう。
強制水泳試験のネズミみたい……🤣
ビンボー人ほど現状維持したがる
先進国の人々が途上国に技術支援をする場合、それを受け入れるのは「比較的金持ち」だった。
支援団体の「いちばん救いたい人」は救われなかった……。
この少数派農民は、通常、最も進歩的で富裕な人たち、すなわちいちばん援助を必要としないと思われた人たちであった。最も困窮していた人たちのほうが、栽培や耕作の面で自分たちが慣れてきた方法にいちばん頑なに固執し、進歩的な隣人の例にならっての変化においては、きわめて緩慢でしかなかった。
つまり、貧しい耐えがたい生活をしてる人ほど
「貧困にしがみつく」
のです😭
ブラック企業の社員ほど仕事にしがみつくのと同じか?
ストックホルム症候群ですね。
ビンボー人を貧困から救うためには?
- いうこと聞かんビンボー人はほっとけ
- 順応を拒否する少数者だけ助けよ
とガルブレイスはいいます。
「それは、わずか少数の農民だけにしか及んでいない。また、貧しい農民層には及んでいない」という言葉ほど、妥当な批判であるとみなされたものはなかった。だが、指導の努力は貧しい農民にまで広げるべきではないのである。農業指導サービスは、順応を拒否する人びと、貧困の均衡からの脱出を求める人びとだけに提供されるべきものである。そういう人たちは、通常は少数者であり、時にはきわめて少人数でしかない。もっと多数の人を対象にして努力しても、挫折感を生むだけのこととなろう。
ガルブレイスは、こうも言う。
ひとたび個人が貧困と和解してしまうと、その人は二度と再び抵抗する見込みはないのだ。
ビンボーに慣れてしまった人は、もう救えないのです……😭
ビンボー人が救われるためには「移民」
貧困国の少数派は「移民」になるべし
とガルブレイスはいいます。
それは
- 移民本人
- 移民受け入れ国
- 残された祖国
にとってもよいのです。
ガルブレイスはスウェーデンの例をあげます。
スウェーデンは100年前、ド貧困の農業国だった。
でも大半の国民は
「しょーがないや😔」
とクソ労働に従事していた。
ビンボーに慣れきってたのです。
でも、「やってられん!😤」となった少数派がいた。
彼らはアメリカに移住していった。
結果的にそれは何百万人もの移住につながった(人口の5分の1ともいわれる)。
そしてスウェーデンには変革がおきた。
いまは世界的に豊かな国(というか優等生国)になってます。
移民は……貧困に対抗する最も古くから行われてきた実際行動である。それは、最も強く助けを求めている人を明確に選別する。それは、彼らの移住先の国にとって有利なことであり、彼らが脱出してきた国における貧困の均衡打破をも促進する。これほど明らかにいいことづくめであることに抵抗するというのは、人間の心はなんとつむじ曲がりなのであろう。
日本は移民排出国になるべきでは?
日本も貧しくなりつつあります
さいきんロンドンいって体感しました🤣
- 「移民を入れろ!」
- 「入れるな!」
と議論してますが。
むしろ日本は
「移民排出国」
となるべきかもしれない。
移民になった日本人は高所得を享受できる。
移民受け入れ国も、意欲的な日本人労働者をゲットできる。
そして、残された日本もその「衝撃」で社会変革が起きるかもしれない。
問題は、順応主義を打破できる日本人がいるかどーかですが……🤣
終わりに ビンボーに慣れたらあかん
「なんでもっとリタイアする人が増えないんだろう?」
と思ってました。
結局、経済的問題より
「心理的問題」
のようです。
- 順応主義
- 現状維持主義
- コンフォーミズム
社畜状態やビンボー状態に「しがみつく」人もいる。
- 「こんな方法で自由になれるよ!」
- 「もっとゆたかな暮らしがあるよ!」
といっても聞かない。
「俺はこの苦しいミジメな生活が好きなんだ!😡」
となる。
貧困は単なる外的状況ではない。
「心の底にまで巣食う」
ということです……🥺
◆
しかしまー私もビンボーリタイアに「順応」しつつあります。
べつに金持ちになる気はないけど、変化が必要かなーと思いますね……🤔
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