「陰キャの神」が語るリタイア生活
をパラパラ読んでました。
「人の有するものについて」
という章がリタイア者向けだったので紹介します。
ショーペンハウアーの語るリタイア論
- 人生は苦痛と退屈の振り子だ
- 孤独に生きることは偉大な精神の宿命である
- 結婚は権利を半分にし、義務を倍にする
- 私たちは自由の4分の3を他人に好かれるために失う
陰キャ思想家……😚
リタイア資金なんてひとそれぞれ
財産上の願望はどこまでが合理的かという限界を決定するのは、不可能とまでは言わなくても困難である。その理由は、誰にもせよ、人間の財産上の満足は絶対量に基づくのでなく、単に相対的な量、すなわち要求と財産との比例に基づくからである。だから財産だけを切り離して考察するのは分母のない分子みたいに無意味なものだ。
「1000万円でリタイア」
というと驚かれますが
「月3万円で生活してます」
といえば納得するでしょう。
- 1000万円の資産:月3万円の生活
- 5000万円の資産:月15万円の生活
- 1億円の資産:月30万円の生活
これは同じ比です。
倹約して生活できる人に数億円もいらないし、逆に派手に生活したいなら1000万円リタイアは破滅します。
「リタイアにいくら必要か?」
は「分母」が大事なのです……😘
貧乏から金持ちになった人が浪費する理由①
生れは無産の身でありながら、何によらず自己の才能によってついには大いに金が儲かるような境涯に達した人は、自己の才能が固定資本となったのだから儲けはそれから生ずる利子なのだとうぬぼれるようになるが十中八九である。だからそういう場合に儲けの一部を残して固定資本を蓄めようとはしないで、儲けただけ支出してしまう。……不遜にも自分の得た金をそっくり利息だなどと思って身の破滅を招くより、得た金を自分の資本に繰り入れるべきである。
「俺は投資の才能がある! 金なんてまたすぐつくれる!😜」
とキャバクラいったり高級車を買う人。
これは破滅の典型です……🤣
自分には「手腕」があるから「金なんてまたすぐにつくれる」と思っても、
「そういう時代は長続きしない」とショーペンハウアーはいいます😌
一方、財産を相続した人はそれを保ちやすい。
相続によって得た財産を持つ人々は、どれが資本で、どれが利息かが、少なくとも直ちにはっきりとわかるので、彼らの大部分は資本の確保に努め、それには決して手をつけないようにし、さらに進んでなるべくは、せめて利息の八分の一ぐらいは残して、将来の不振に備えようとする。だから大抵富を失うようなことはない。
これは私たちが100万回聞かされていることです。
「コップの溢れた分だけちゅーちゅーせよ」
ということです……😚
貧乏から成り上がった人が浪費する理由2
文字どおりの困窮欠乏と闘ってきた経験のある人は、困苦欠乏を他人事としてしか知らない人に比して、これを恐れる気持ちがはるかに少ないために、濫費の傾向が人一倍強いということが、原則として認められる。
- 「ビンボー生活は怖くねー」
- 「だってもともとビンボーだったし🤣」
という人はお金を失いやすい。
一方、
- 「金持ち学校で大切に育てられました(´・ω・`)」
- 「生まれたときから財産で食ってきました。これからも財産で食っていきます(´・ω・`)v」
みたいな親ガチャ当たり系は倹約します。
財産の重要性を理解しているからです。
生まれながら父祖伝来の富をもつ者にとっては、富が欠くべからざるもの、唯一の可能な生活の要素、いわば空気のようなものになっているために、自己の生命を愛護するがごとくにこの富を守り、したがっておおむね整頓好きで細心で倹約だ……
ところが親譲りの貧困のなかに生れた人間には、貧困が自然な状態となり、したがってその後何かのはずみで富が転げ込んでも、それは余分なもの、もっぱら享楽と蕩尽とに適したものになってしまうから、その富がまた無くなればけっこう元の木阿弥で凌ぎをつけ、また一つ心配の種が片付いたことになる。
私もビンボー生活してるので、1000万円でも「きもちわりー」となってしまう。
まさに「余計なもの」です。
もーちょい財産と仲良くした方がいいのかもしれない……🤔
関連:【お金を断捨離】資産1000万円を「ないもの」にします
資産で食うのは「計り知れない強み」「真の自由人」
家族を抜きにして自分一人だけでも真に独立してすなわち働かずにのんびりと生きていけるほどの財産をもっているということは、測り知れぬ強みである。これこそは人間の生活につきものの窮乏と苦難からの放免であり、地上の子の自然の定めともいうべき役務からの解放だからである。
これすごく好きな文章です😍
- 人間の生活につきものの窮乏と苦難からの放免
- 地上の子の自然の定めともいうべき役務からの解放
リタイア生活の良さが凝縮されてます。
運命からこれほどの好遇に浴しているのであれば、それこそ真の自由人に生れたということができる。というのは、こうあってこそはじめて真に自主独立の立場から、自己の時間、自己の能力を自由にする人間となり、朝な朝なに「今日の一日は私のものだ」と言いきることができるからだ。
朝起きて
「今日一日なにしよー🤗」
となる生活はサイコーです。
金額の多寡よりも「自由」が大事
千ターレルの年金を受ける人と10万ターレルの年金を受ける人との差異は、千ターレルの年金を受ける人と一文の年金ももらわぬ人との差異に比すれば、どれだけ軽少であるかしれない
重要なことは「自由かどうか」です。
財産の多寡はそこまで重要ではない。
私は1000万円でぽやぽや暮らしてますが
「社畜にはぜったい戻りたくない……😭」
と思う一方
「1億円の資産持ちが羨ましい!😣」
とはなりません。(まー多少は思うけど😅)
社畜に比べたら、1000万円のリタイアだろうと、10億のリタイアだろうとたいして変わらないのです。
関連:【お金はいらない】「とにかく静かに暮らしたい」クラスタ
無職は人類に恩返しします
親譲りの財産が最高の価値を発揮するのは、たまたまこれを譲り受けた人間が高級な精神的能力を具えていて、営利とはあまり一致しないような仕事をする場合である。すなわちそういう場合には、運命から二重の授かりものをしたことになって、今や自己の本質的な才能に生きることができる。他方、人類に対しても、他人のなしえぬ業績を遂げ、全人類の福祉、いや名誉ともなるべきものを生むことによって、債務を百倍にもして返すことになるであろう。またこうした特別の境遇にあって、博愛的な事業によって人類に対して功徳を積む人もあろう。
財産持ちは「金にならんこと」をした方がいい――
とショーペンハウアーはいいます。
無職はヒマです。
好きなことをとことんできます。
だから偉大な業績をなしとげることができる。
ダーウィンだって、ビンボー人だったらビーグル号なんて乗れなかった。
リタイア生活で何もしないヤツはゴミクソ
けれどもこうしたことは何一つ申し訳の程度にでも、あるいはためしにでもすることのないような人、まして何か学問の一つくらいは徹底的に勉強して、せめてその学問の先達の機縁ぐらいは造ろうということさえしない人は、よし親譲りの財産があっても、たかが穀つぶしの軽蔑すべき人間である。そのうえ、こういう人間は幸福にもならない。というのは、困窮から解放されたために、人間苦のもう一つの極点である退屈の擒(とりこ)となり、退屈にひどくさいなまれる。むしろ困窮に追い回されて忙しいほうが、よほど幸福だったろうと思われるくらいである。
「リタイア生活でなんら生産的なことをしないのはクソだよ」
とショーペンハウアーはいいます。
そーいうやつは退屈がイヤで
「リタイアをリタイアする」
結果になるのです……🥺
終わりに いまも昔も変わらぬお金の話
「リタイアじゃなくて親の財産継いだ人の話だろ?」
というのは正しいです。
ショーペンハウアーはリタイア者ではなく親ガチャ当たり組です。
富裕な商人であった父ハインリヒと、名門トロジーネル家の出身であった母ヨハンナ・ショーペンハウアーの長男としてダンツィヒに生まれる
「長男」だから莫大な金を継いでるでしょう。
しかし「自分で財産をつくった人」にも勉強になる部分があります。
- 資産がいくら必要かは、分母が大事
- 成り上がったアホはすぐに金を失う
- お金の心配ない自由人ライフさいこー😘
- 自由人でも何もしないのはヒマ死😅
とショーペンハウアーはいいます。
ショーペンハウアーが生きたのは19世紀ドイツ(プロイセン)。
「いまも昔も変わんねーなあ」
と、なんかほくほくしました……😚
関連:リタイアすると「富裕層マインド」がゲットできます
関連:【富は重荷】知識があれば「必要以上のお金」はいらなくなる
関連:【考える無職】社会なめまくり「哲学的ニート」のススメ
関連:セミリタイアは「ストア派哲学」で楽になります